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美容院

作:かわねぎ



『都合により休ませていただきます 店主』

「休みかよ、おい」

 行きつけの床屋の前で力無く呟く俺。髪が伸びて仕方なかったので、せっかくの休みを半日潰す覚悟で来たのだが、肝心の床屋が閉まっているのでは話にならない。これでは来週まで伸びた髪が鬱陶しいのを我慢するしかない。ここの親父には昔から世話になっているので、他の床屋へは行く気にはなれないんだ。
 とぼとぼと帰る道すがら、「美容院OPEN! 素敵な髪の貴女へ」という立て看板が目に入る。美容院か。俺は古い考えかも知れないが、髪を切ってもらうのは昔から床屋と決めている。美容院なんて女子供の行く所と思っているのだ。普段の俺なら無視して通り過ぎるんだが、髪が気がかりだったのか、つい、看板をじっくり読んでいた。

「オープン記念でスペシャルカットコース\2980ねぇ……」

 確かに行きつけの床屋に比べると安い。まあ最近は駅前なんかにあるカット専門店に行けば1000円で髪を切ってもらえるのだから、安さでは負けている。俺は安さを追求するよりも、昔ながらの床屋のまったりとした時間の流れが好きなんだ。それにカット専門店じゃ、蒸しタオルの気持ちよさも味わえない訳だからな。
 場所は、帰り道の途中だ。看板に書いてある地図を見ると、路地から入った所。これじゃ繁盛するのは難しいだろうなと思いながらも、不思議とその店に足を向けていた。

「いらっしゃいませ」

 美容院の扉を開けると店員の女の子が挨拶と共に迎えてくれる。床屋にはない華やかさだな。店内の飾り付けもシンプルだが、どこか女性向けといった感じだ。店内を見渡すと客は俺一人のようだ。こちらへどうぞと椅子に案内される。言われるままに座る俺。

「どのようにいたしましょうか」
「カットだけでいいよ」
「オープン記念で、カットとスペシャルカットコースが同じ料金になってるんですよ」
「あっそ。んじゃ、そのスペシャルでお願いするよ」
「はい。では失礼します」

 そう言って、ケープを付けてくれる店員さん。首周りに紙製のテープも巻き付ける。髪を霧吹きで湿らせながら、どの程度切るか聞いてくる。

「どの程度にお切りしましょうか」
「前髪が眉にかからない程度に。後ろはそれに合わせた長さにしてくれ」
「はい」

 程良く湿って櫛通りのよくなった髪に櫛を通して、ハサミを入れていく。まだ若い店員だが、カットの手つきも手際良いのには感心した。

「結構男のカットもやるのかい?」
「はい、ありますね。今は男性の髪型も勉強しなくては店もやっていけませんから」
「そんなもんなんだ。でも本職は女の人の髪だろう」
「ええ。素敵な髪の女性にするのが私の仕事ですから。あ、お客様、髪質が固い方なんですね」
「そう言われるよ。さらさらな髪になってもしょうがないけどね」
「さらさらな髪もいいものですよ」

 まあ、髪質を変えるなんて事は出来ないのだから、意味のない会話な訳だ。俺はいつもそうなのだが、髪を切ってもらううちに眠くなってしまう。これが気持ちいいのだ。今回も段々うとうととしてきた。頭がかくっとなるたび、両脇から押さえられて定位置に戻される。

「それではシャンプーします」

 どうやら髪も切り終わった様で、今度は洗髪のようだ。シャンプーが冷たくないように、湯煎で暖めてあるのには感心した。ある程度泡立てている所で気がついたけど、あれ? 泡でよく分からないけどあんまり後ろ切ってないな。ま、いいか。
 椅子が倒されて、仰向けにさせられる。床屋でうつ伏せで流してもらうのと対照的だ。

「かゆい所はございませんか」
「う〜ん、全体的にお願い」

 地肌をしっかりと洗ってもらうのはやっぱり気持ちがいい。それに、覆い被さるようにして洗ってくれる。ちょうど店員さんの胸が顔の当たりに来る訳で、なかなかいいかも知れない。次から美容院に宗旨替えしようかな、なんて思ったりもする。
 髪を洗い終わって、水分を丁寧にタオルで拭き取っていく。仕上げに頭全体にタオルを巻かれる。ドライヤーで乾かさないのかな、と思っていると、化粧品か何かを手に取っていた。化粧水かな?

「当店自慢のパックです。毛穴の汚れも取れてすべすべな肌になりますよ」
「いいよ、別に……」
「せっかくですので、どうぞお試しください」

 まあ断る理由もない訳で、そのままパックをしてもらう。正直言うと顔剃りの方が良いんだけどな。ここは蒸しタオルの気持ちよさの方が上だ。聞いた所では理容師は免許試験でカミソリを使うけど、美容師免許試験にはないそうだ。だから美容院では顔剃りがないそうだ。これもお役所の妙な規制なんだよな。
 あと肩から首のマッサージがあると良いんだけどな。ちょっと体もだるくて疲れているようだからやってくれるとありがたいが、このコースでは期待できないようだ。残念。
 パックをしているうちに、ドライヤーで髪を乾かしてもらう。なるほど、時間の有効利用な訳ね。でも髪がうなじに当たるのを感じるんだが、ちょっと後ろ長くないか? 仕上げでもうちょっと切ってもらおう。

「ではパックを外しますので」

 そう言ってパックをはがし、顔を濡れタオルで拭いてくれる店員さん。後は仕上げてもらうだけだが……鏡に映った自分の姿を見て、俺は声を失った。確かにパックですべすべな肌に──女性の肌になっていた。それどころか女性の顔つきに変わっているではないか。ちょっと長いさらさらな髪がその顔に似合っていて……ってそんな問題じゃない!

「後ろも前髪の長さに合わせて揃えました」
「どうして……こんな事が……」

 俺がかろうじて出した一言は女性の声だった。直感だけどケープの下もおそらくは女性になってるんだろう。店員さんは事も無げに答える。

「お客様を素敵な髪の『女性』にするのが私の仕事ですから」



あとがき

 髪の毛切りたい。そんな単純な思いからこの作品を書いてみました。最近では両者の境界は薄れてきていますが、理髪店と美容院では考えてみれば妙な棲み分けがあるんですよね。ちなみにかわねぎは昔は美容院に行ってましたけど、最近もっぱらカット専門店(\1000)です。

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