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新型感染症

作:かわねぎ



 厚生労働省のとある会議室。暗い室内にプロジェクターの光がスクリーンに投影される。スクリーンには、今まさに現在進行形で動いている状況が次々に映し出されているのであった。

 暗がりでよく分からないが、大臣以下数名が、深刻な面持ちでその報告を聞いていた。状況の深刻さに室内は静まりかえっていた。若い事務官の報告の声だけが響く。

「昨日の時点で、感染者613人、死者38人というWHOの公式発表です」

 今年当初から確認された新型伝染病。アジアを中心に感染者が確認され、発表される死者の数も増え続けている。この国際化時代、我が日本への上陸も現実的にあり得ることであり、入国者、帰国者のチェックをはじめ、伝染病の上陸を水際で叩く体勢を取り始めたのであった。

 その甲斐あってか、国内の感染者0、感染が疑わしい外国人の入国者や日本人帰国者も0という状況を保っていた。

「ご承知の通り、潜伏期間は約10日。これを過ぎるとウイルスが死滅する。はずだったのですが……」

 だが、驚愕の事実が昨日政府を襲った。問題なしと思われた帰国者が潜伏期間を経て発症したのだった。すぐさま隔離・収容し、医療関係者による治療が始まった。潜伏期間として考えらているのは10日間。それを越えての発症なので、完全に虚をつかれた格好になった。

「各方面への情報伝達が速やかに行われ、初動から隔離まで、満足のいく対応でした」
「患者は帰国後10日は外部との接触を避けていましたが、それ以降の接触者について緊急に追跡調査を行っています」
「現在の所、保菌者は確認されず、幸い感染拡大には至っておりません」

 感染者発見以降の対応は、満足行く物であった。報告の通り、感染拡大に至っていないというのが関係者をほっとさせている。接触者の調査も逐次行われ、安心できる材料が揃いつつあるのだった。

 報告が終わり、プロジェクターの明かりが消えると同時に室内の照明が点灯する。照明のまぶしさに目を細めているせいではないが、政府関係者達の表情はしかめっ面に近いものがあった。安心させる報告だったにもかかわらずだ。

「しかし、感染者があの人とはな」
「やっかいだな。報道を抑えておくにも限界がある」
「今まで当たり障りのない内容でプレスには発表してきたが……遅かれ早かれ漏れるのは必至か」
「それにしても……どうなるんだ……首相……」

 そして、政府として重大な問題があった。感染者というのが誰あろう、アジア国際会議に出席していた、首相その人だったのである。帰国後、念のために10日間は官邸周辺での活動が主になっていた。その後も閣議や委員会などが中心で、国内での広範囲な移動がなかったのは不幸中の幸いであろう。

「とりあえず、政府機関は首相緊急時のマニュアルに沿って運営して、問題は見られない」
「国会会期中でなくてよかったよ」
「それに一番接触していたのが我々……検査では全員陰性と出てるからな。ほっとしたよ」

 出席している大臣達は、皆一様に安堵の表情を浮かべている。国の大事はどうあれ、まずは我が身が無事なことを喜んでいた。自分たちが安全であるからこそ、安心して難しい対応やらなにやらに取り組むことができるのだ。

 実際の感染症対策の報告を厚生労働大臣がしようと立ち上がろうとしたその時、何の遠慮もなしにドアが大きな音をたてて開かれた。いきおい、全員の視線がそちらに集まる。報告しようとした大臣は、出鼻をくじかれて、不機嫌な顔で入ってきた人物を睨み付ける。

「失礼します! 総理が完治したとの報告が入りました!」

 若い事務官が息を切らしながらも、一気にそう告げる。その報告に一同は色めき立つ。不機嫌だった大臣も、一転明るい表情になる。

「そうか! 完治したか!」
「ふぅ、プレスを抑えておいて正解だった」
「ああ、堂々と日本は安全と言える!」

 唯一件の国内での発症例。それに罹った首相が完治したとなれば、国内の問題はケリが付いたも同然。報道に正直に発表していたずらに国民に不安をあおり立てることはない。最初から無かったことにすれば、全ては丸く収まるのだ。なに、報道には「首相が天麩羅食って腹をこわした」とでも言っておけばいい。

 さて、朗報で雰囲気が和やかになったところで、改めて大臣が報告をしようとした矢先に、側に控えていた男が机を叩くようにして立ち上がる。白衣を着ていないので議員や官僚にも見えるが、実は医局の責任者だ。

「あんた達は何も分かっちゃいない!」

 そう言い放ち、会議室に揃う大臣や官僚達を挑戦的に睨み付ける。本来ならば罹患した首相を完治させた医療チームの責任者。この状況ならば、大臣から指示されて自慢気に報告をしても誰も咎める者はいないのだが、その医師の態度はそれとは正反対の物であった。それ故に、その態度が大臣達の癇にさわったのだろう。

「君は何が分かるというのだね」
「状況の報告さえすればいいのだよ」
「差し出がましい口の利き方は気を付けたまえ」

 そんな大臣達の言葉は意にも介せず、プロジェクターのランプを付けて、資料をスクリーンに映し出す。それを見た職員が、慌てて室内の照明を落とす。医師は口での説明を一切せず、淡々と資料映像をスクリーンに映して大臣達に見せていった。

 最初は不満げに見ていた大臣達だったが、映像が進むにつれて、言葉を失ってくる。映像が一通り終了したところで、やっと口にした言葉が、目の前に映し出されたモノを否定するような言葉だった。

「そんな馬鹿な……」
「現実にあるのか、こんな事が……」
「ご、合成とか映画とか……演出だ。演出に違いない!」

 ざわめきが大きくなる中、医師は声を張り上げて言葉を発する。この感染症の真実の一端を見せただけで、こうなることは分かっていたようだ。

「これが、感染症に罹った患者の、末路です」
「君、これは本当に……本当に事実なのかね」
「ええ、信じられないでしょうが。症例は、私もアジア各国を見て回りました」
「まさな、こんな……」
「これが公式の死亡者の姿ですよ。世界的な箝口令が敷かれています。WHOも、国連もです!」

 映像を否定するざわめきは、こんどは隣の大臣や官僚同士のささやき合いに変わる。否定したいが、目の前に見せられたのは現実。もし、この感染症が日本に入ってきたら……国の存亡の根底に関わるかも知れない。そして、首相に接触した自分たちもそうなってしまったら……

「ある意味、死ぬより酷いな……」
「そうか? 儂はそうは思わんが……むしろこの結果は良いではないか」
「貴様、何を言う!」
「我が国が抱える問題を半分は解決できるだろう。それに自分の身に起こっても、歓迎だな」
「馬鹿なことを。こんなになったら国家存亡の危機だぞ! 代償が大きすぎる!」
「個人レベルで見れば、その代償を払う国民も多いのに気が付かないか?」

 声のトーンが段々と大きくなる大臣達。見せられた映像を肯定する者もいるので、自然とそうなってしまう。この場では肯定する者は異端者扱いになるのはやむを得まい。あくまで大局から国を動かす者の発言としては不謹慎極まりないのだ。

「そういう声が無視できないからこそ、世界が隠して来たのです」
「これを知っているのは……君と……どれくらいなのかね」
「国内でも知るものは少々……首相と私のスタッフ数名のみです」

 これは隠しておかなければならない真実だった。幸い当事者の首相と、直接任命された医療スタッフ、それも上位の数名しか知らないので、国民に漏れると言うことはないだろう。

 やはりこの感染症問題は難しい。腕組みをしながらそう感じている大臣達の前に、また事務官が扉を開けて入ってきた。「今度は何だ?」という視線を周りから突き刺さるのに臆してか、少々どもりながら報告をする。

「し、失礼します。しゅ、首相がお見えです」
「首相が?」
「……まさか!」
「本当だったのか……」

 事務官の後に続いて入ってくる首相の姿を見て、大臣達からは驚きの声と落胆の声が上げられる。そう、そのどちらも混ざっているような。そんなざわめきも、首相の一声で、水を打ったように静まりかえる。

「ねぇ、みんな、何騒いでるの?」

 会議室に入ってきた10歳くらいの少女は、小さく首をかしげて、そう可愛らしく告げたのだった。




あとがき

 なんとかSARSの収束宣言がでましたね。旬を逃してしまいましたが、不謹慎のそしりを免れたということで(汗)。しかしこんな感染症があったら、罹りたいという人が後を絶たないでしょうねぇ、この界隈ですと。

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