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「ごほんごほん……」

 先程から部屋に咳の音が響き渡る。ひとしきり発作が治まると、こんどはティッシュで鼻をかむ。ダストボックスへ軽くシュートを決めると、うんざりした表情で机の上に置いてある薬瓶に手を伸ばす。

「もらった薬。咳止めのシロップ剤と鼻かぜに効く錠剤か」

 ラベルのない薬瓶を手にとって、ひとしきり眺める彼。ラベルがないので効能や服用方法が書いてあるわけではないのだが、何とはなしに手の中で転がしているのだった。

「ごほごほ……いっぺんに飲めば風邪の治りも早いかな?」

 どうやら彼の咳は風邪が原因らしい。早く治りたい一心で、シロップ剤で錠剤を飲み下す彼。水を汲んでくるのが面倒なのか、合理的なのか、ともかく一度に2つのかぜ薬を飲み込んだのであった。



くすり仕掛けの小さな猫耳
(前編)

作:かわねぎ


 惑星連合宇宙ステーションTS9。その指揮系統の頂点とも言える司令官室。そこへまだ若い女性士官、副司令のれも少佐がデータパッド片手にやってきた。データパッドの表示に目を落としつつ、司令官室のインターホンへと手を伸ばす。

『ポーン』

 機械的な呼び出し音が鳴る。だが、それに続く部屋の主の返事がない。変だなと思いつつも、数度呼び出しボタンを押してみたものの、やはり返事はない。つい先程司令官室に連絡を入れたときは、在室だったので、どうしたのだろうか。

「司令……まさかまたどこかに……」

 返事がないことは、どうやら珍しいことではないようだ。ロックがかかっていないことを確認して、そっとドアを開ける。

「あの……司令?」

 この部屋の主、TS9の司令官であるかわねぎ中佐が執務中に部屋を離れるときは、きちんと行き先のメモが執務机に残されている事が多いので、まずはそちらを確認してみる。

「どうせまたプレラット大使館……あら、なにかしら?」

 机の上にはメモなど残されておらず、空の薬瓶が2つ転がっているだけだった。れもはその薬瓶を取り上げて、そのラベルを確認しようとした。だが、ラベルのないただの瓶。何の参考にもならないとばかりに、机の上にきちんと並べて戻す。

「どこ行っちゃったのかしらね。コンピューター、かわねぎ司令の現在位置は?」
『司令官室に在室中です』
「変ね。隠れるような所なんて机の下くらいしか……」

 コンピューターの返事を聞いて、ますます疑問に思うれも。イタズラでれもを驚かすことがあるお茶目な司令官ではあるが、何か今回は違うような気がする。それでも確認はしておかなくては、とばかりに机の下を覗き込む。

「司令? いらっしゃいませんか? ……って、大丈夫ですか!」

 れもが腰を落として覗き込むと、そこに人がうつ伏せに倒れているのを発見した。慌てて立ち上がり、執務机を回り込んで、その人物を抱え起こそうとする。だが、そこで倒れていたのは、れもがよく知るかわねぎ司令ではなかった。

「だ、誰よ、この娘……」

 見たところ、11歳くらいの少女が倒れていた。頭頂部で伏せられている状態の猫耳から、この少女はキャロラット人らしい。ただ一つ疑問なのは、だぶだぶの士官服を着ている、という状況だ。はっきり言って、何がどうなっているか分からない。

 とりあえず、息があることを確認し、頬を軽く叩いて、少女の目を覚まさせようとする。数度叩いたところで、気が付いたようだ。軽くうめくように声を出す少女。

「う、うにゃぁ……」
「大丈夫? それにあなた誰なの?」
「れ、れも君……ここはどこにゃ?」
「司令官室よ。どうしてあなたみたいな娘がこんな所にいるのよ」
「どうしてって……」

 どうやら少女は自分のおかれている状況が掴み切れていない状況のようだった。確かにれもの言うとおり、ここは司令官室。倒れてしまったところを、れもに抱え起こされたという状況なのだろう、と一人納得する少女。でも、自分を誰だと聞かれるのは、現状を認識させる手段としてはあまり上手くない冗談ではないか、とも思っている。

「ボクがここにいるのは当たり前だにゃ」
「当たり前って、あなたねぇ」
「何の不思議があるかにゃぁ……って、にゃ……にゃ?」

 手を口に当て、自分の発した言葉に驚く少女。その手も、だぶだぶの制服の袖口に隠れてしまっていて、それが更に困惑に拍車をかける。外見から判断できる事は、衣服が大きくなってしまったか、身体が小さくなってしまったかのどちらかだろう。そのどちらであるか、立ち上がってみれば分かることだろう。

「にゃぁ……世界の方が全部大きくなってるにゃ。れも君まで」
「あなたがサイズ違いの服を着てるだけよ!」
「う〜ん、じゃぁ背が縮んだのかにゃぁ……れも君にはボクの姿はどう見えるにゃ?」
「どうって、キャロラットの女の子よ。フレイクス少尉位の年頃の」
「基地司令官の中佐には見えない訳だにゃ」
「当然よ……って……まさか……」
「そのまさかみたいだにゃぁ」

 顔を見合わすキャロラット少女とれも。信じられないことだが、どうやらこの可愛らしい少女がかわねぎ司令の変わり果てた姿らしい。元の中年の姿と結びつけるものは、正直言って何も無い。

「いったいなぜ、こんな……」
「わからないにゃ。もらったかぜ薬飲んだら気が遠くなって、気が付いたられも君に起こされたにゃ」
「薬が原因なんでしょうか」
「さぁ。それにしてもキャロラット少女かにゃ。これじゃ『かわねぎ』じゃなくて『かわねこ』だにゃ」
「安直過ぎません? それ」

 本当に少女になってしまったのか、自分の身体を確認してみたいかわねこだったが、この司令官室には姿見などという便利なものは無い。仕方がないので、手探りで自分の変わってしまった身体をぺたぺたと確認していく。

「ある……」
「何をやっているんですか。司令」
「こっちもあるにゃ。太くて固いにゃ……気持ちいいにゃ〜」

 今までの身体と比べるように、身体の各所を触りながら感想を口に出すかわねこ。

「しっぽ握りながら誤解を招くようなセリフを言わないでください!」

 新しく出来た器官、猫耳と猫しっぽをなでながらのセリフに、脇で聞いているれもが寸刻入れずに突っ込む。それならば女の子になったならこう、とばかりに胸に手をやるかわねこ。

「じゃぁ……程よく無いにゃ♪」
「……(すちゃっ)」

 当然次はそう来るだろうと、れもは突っ込み用にオーラハリセンを準備していたが、どうやらかわねこのほうが一枚上手だったようで、思わず手にしたハリセンを振りかぶる。

「あわわ……れも君、冗談冗談。オーラハリセンはしまうにゃ」
「それがいきなり女の子になった人のセリフですか! それに司令の場合、冗談には聞こえません!」
「司令官がパニックになるのが希望かにゃ。冷静沈着。これが連合士官に求められる資質だにゃ」
「はぁ……」

 などとれもを言いくるめつつ、これからどうしようかと考えるかわねこ。いつまでもれもと漫才をやっているわけにもいくまい。それに今着ているだぶだぶの服もどうも着心地が悪い。どうにかならないものだろうか。

「れも君、ボクの服だが、どうするかにゃ」
「そうですね……今の司令に合いそうなサイズですと、ダイナ少佐やフレイクス少尉と同じ位でしょうか。これならストックがあるはずなので、用意させます」
「よろしく頼むにゃ。この前オークションで競り落とせなかったし」
「は?」
「いや、何でもないにゃ」

 一部意味不明なやり取りがあったが、要は頼香と同じサイズの士官制服(女子用)を準備してくれるらしい。衣類一式、制服から下着から靴まで、資材部門へ調達指示を出すため、データパッドに何やら入力していくれも。手慣れたものだ。

「すぐ届けてくれるそうです」
「ありがとにゃ。着替えたら、医療部で検査して、原因を追及するにゃ」
「原因が薬だとすると、そちらも調査する必要がありますね。技術部にも連絡しておきます」
「うにゃ。それから基地の指揮権はボクが戻るまでれも君に委譲するにゃ」
「了解しました」
「この姿だと、指揮命令系統が混乱するからにゃ。れも君は大変だけど、頼むにゃ」

 大変なのはいつものことですけどね、という言葉を飲み込んで、かわねこの言葉を承諾するれも。基地の指揮を執るのは司令官不在の場合によくある事なので、それほど難しい業務というわけではない。問題は、かわねこという少女の世話がどの位の負担になるか、それが未知数なのだった。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 TS9医務室。人が生活している以上、病気や怪我、その他人体に対する様々な問題が出てくるのは必然である。当然このTS9にも医者は欠かせず、軍医が常駐しているのであった。辺境の宇宙基地故に本星には及ばないものの、常設基地だけにそれなりに設備が充実しているのである。

「ドクターいます?」
「おや、れも。どうした?」

 れもが医務室の責任者であるドクターを呼び出すと、奥から惑星連合の制服の上に白衣をまとった若い女医が現れた。タナリア人のドクター、ライル・フォーレスト少佐だ。彼女――男女の姿を自在に変えられるタナリア人にとって『彼女』という呼称が正しいのか――の姿を認めると、れもはかわねこを一歩前に歩ませて、要件を伝える。

「ライル、検査をお願いしたいの。私じゃなくて、この娘」
「この娘は?」
「かわねぎ司令」
「へ?」

 れもの言葉が理解できなかったかのように、間の抜けた声を出すライル。いや、実際に理解できなかったのであろう。士官制服姿のキャロラット少女を連れてきて、あのおっさんの司令官だと言われても、はいそうですかと納得する人間は、そういまい。そのライルの反応を確かめた上で、れもが簡単に説明をする。

「……という訳なの」
「なるほどな。原因はおそらくその薬なんだろうけど、司令の身体への変化もDNAレベルでチェックしなくてはいかんな」
「手間かかりそう?」
「全身スキャンと細胞のサンプリングを平行すれば……そうだな、1時間程度で済むな」
「それでは司令よろしいですね」
「にゃ」

 れもの説明の間、ずっと黙って聞いていたかわねこが、一言だけ承諾の返事をした。どうしても自分が話す言葉がキャロラット訛りになってしまうのが気になるらしい。聞いている方はキャロラット訛りは可愛いのだが、本人としては違和感ありまくりなのだろう。だから黙っていたのだが、医者相手に黙っているのは全く益のない行為だと言うことは理解しているようだった。

「ドクター、よろしく頼むにゃ」
「了解。さて……それじゃぁ胸出して」

 ライルはかわねこに向かい合うと、数世紀前に使っていたような聴診器を片手に、診察を始めようとする。思わず胸を隠すように身構えるかわねこ。

「うにゃ? やっぱりそう来るかにゃ」
「それともかわねこちゃんは、男性体の私に脱がしてもらった方が好みか?」
「思いっきり遠慮するにゃ! スキャンもサンプリングも服着たまま出来るはずにゃ!」

 かわねこの言うとおり、今回の検査には触診は必要のないことであった。もちろんスキャン全盛の今の時代でも、痛みの部位を特定するのに触診をする事は当たり前なのだが、それにしたところでアナクロな「聴診器」を使うことなど、まずありえない。

「ちぇ。可愛い少女の裸を検分できるのは医者の役得なのに。男の浪漫が分からん奴だな」
「タナリアの君に男の浪漫と言われてもにゃぁ。それに今は女性体だにゃ」
「細かいことは気にしない方がいい」
「ライル……ボクが君の毒牙にかかるとは夢にも思わなかったにゃ」

 このライル少佐、両性に愛情を抱けるタナリア人にしては珍しく、「女性」に対する好みの方が大きいらしい。もっともかわねこに言わせれば、「少女」の方が興味の対象らしいが。まあ、その辺は二人の間では言うまでもない、といったところか。

「ライルがいつも女性体で女性患者を安心させてる理由が身をもって分かったような気がするにゃ」
「患者の警戒心を解いて、リラックスさせる。医者には必要な事ですが、何か?」

 半ば呆れるような表情のかわねこに対して、どこ吹く風といった表情のライル。だが、すぐに真面目な表情に取って代わられる。それを察したかわねこも、居住まいを正して、ライルの説明を聞き始める。なんだかんだ言っても、医者として信頼できる相手なのだ。

「だが、司令の場合、通り一遍の『健康診断』で済むような問題では無いかもしれないな」
「そんなに大変なのかにゃ?」
「私達タナリアならともかく、急激にDNAを変成するには、通常母体に非常な負担をかける。それが見られないんだ」
「うにゅ。異常事態が理論で説明できない訳かにゃ」
「時間がかかるが、サンプリングした後であらゆる角度から検査をしようと思っている」
「その辺はドクターに任せるにゃ」

 元々部下を信頼している司令。そうでなくとも餅は餅屋ではないが、医療というジャンルでは専門家に任せるのが的確だと判断したのだろう。もとより異議もないが。

「だから、診察できるように脱ごうか♪」
「結局それかにゃ!」
「それに……診察すると……ごにょごにょ……」

 また身構えるかわねこに、ライルは身を屈めて何やら耳打ちする。ふむふむと頷きながら聞いているかわねこの表情が、段々とにやけてくる。何を吹き込まれているのかは分からないが、十中八九、ろくでもないことなのだろう。

「ドクター、そちも悪よにょぉ」
「いえいえ、かわねこ様には及びませぬ」
「にゃっはっはっ」
「ふっふっふっ」

 惑星連合にも時代劇というのがあるのかどうかは定かではないが、いかにもなセリフに、それまで脇で聞いていたれもが、片手を額に当てながら、小さくつぶやく。

「……頭痛くなってきたわ」
「れも、頭痛薬でも処方するか?」
「結構です!」

 何事もなかったかのように声をかけるライルに、れもは思わず声を荒げてしまう。この二人に手を焼かされるのは毎度のことなのだが、今回はさらに頭痛の種が増えているので、ついつい声を上げてしまうのであった。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 技術部分析室。測定装置や分析装置が所狭しと並んでいた。技術部の花形は宇宙艦の整備であったり武装であったり、大掛かりなものを相手にする表舞台なのだろうが、そこに生かされる緻密な技術は、膨大な基礎データの解析などの裏方の作業によって支えられているのである。その一翼を担うのがこの分析室だ。

 そんな場所に不釣り合いな、栗色の髪の少女がれもの話をじっと聞いていた。わずかに考え込む表情をして、眼鏡のフレームをちょんと動かす。この少女、惑星連合の制服を着ているが、実際は惑星連合の非加盟惑星での現地協力員なのである。

「なるほど。私が合成した薬の影響もある訳ですね」
「ドクターの結果待ちだけど、かなり絞り込めそうな事を言ってたわ」
「ですが、そのような作用を及ぼす成分は含有していません。合わせて飲んだもう一つの薬の分析もしなくてはなりませんね」

 空の薬瓶を手のひらで転がしながら、その少女、庄司果穂が答える。かわねぎ司令にかぜ薬の一つを渡したのが、誰あろう果穂だった。もちろん果穂には薬の中に司令を「かわねこ」に変えてしまう効果があることは知らなかったし、理論的にもあろうはずがなかった。第一、そんな成分が含まれていると知ったら、嬉々として研究に励んでいることだろう。

 丁度解析室の扉が開く。ライルが白衣を着たまま、データパッド片手に入ってきた。どうやら、かわねこの身体の調査結果が出たらしく、更なる分析をするために技術部へとデータを渡しに来たらしい。まあ、コンピューターに入力された結果はどこでも見ることが出来るのだが、わざわざ手渡しに来たのはライルの性格といったところか。

「果穂、初期分析データが上がった。おまけ付きだ」
「ありがとうございます、ドクター・ライル。ほう、これはなかなか……」
「思ったより早かったにゃぁ」
「司令のためだ。医療部総出で解析に当たらせた」
「なるほど、すまんにゃ……って、これはなんにゃ!」

 果穂が受け取ったデータパッドを覗き込んだかわねこ。思わず声を上げてしまう。それもそうだ。そこにはかわねこの半裸の写真が数枚、挟めてあったからだ。かわねこの抗議に対して、ライルと果穂が、何事もなかったのように応えているのは、ある種、当然のことだろう。

「身体特徴のデータの一種だが、何か?」
「技術部としてもデータを多岐にわたって集めているだけですが、何か?」
「それだけ解析が早くなると言う物だ。司令を元に戻すためだ」
「え、元に戻すつもりですか!? せっかく可愛いのに勿体ないです」

 ライルの言葉に思わず声を上げる果穂。それはそうだ。あの司令官が可愛い少女になってしまったのだ。何をわざわざ元に戻す理由があるのだろうか。心の中で反語表現を展開する果穂を見通してか、ライルが身を屈めて何やら耳打ちする。ふむふむと頷きながら聞いている果穂の表情が、段々と悪巧みをするような笑みに変わってくる。何を吹き込まれているのかは分からないが、十中八九、ろくでもないことなのだろう。そして、果穂もちょっと背伸びして、何やらライルに耳打ち返す。

「庄司屋、そちも悪よのぉ」
「いえいえ、フォーレスト様には及びません」
「ふっふっふっ」
「うふふふふふ♪」

 傍から見ていると明らかに怪しい相談をしている二人を見ていると、今度はかわねこが頭を抱え込む番だった。心なしか、脇に控えるれもも同じような表情をしている。

「この二人に任せるのは早まったかにゃぁ……」
「その姿になった時点で、司令に選択の余地は無いと思いますが……」
「そんにゃぁぁ」
「運命だと思って、諦めてください」

 思いっきり後悔しているかわねこと、どことなく騒動に疲れた表情のれも。そんな二人を後目に、嬉々として作業に取りかかる果穂とライルだった。


<つづく……よね>



<あとがき>

 またもやTS9チャットから出来上がったキャラクターです。「かわねぎ司令」は作者の分身だったはずですが、一服盛られて可愛らしい猫耳少女キャラの「かわねこ」が出来てしまいました。作者自身からは想像付かないと思いますので、この娘は作者とは別キャラとして扱ってくださいませ m(__)m
 さて、猫耳少女になってしまった司令官、この先はどうなるのでしょうか。元に戻るのにライルと果穂は本当に力を添えてくれるのでしょうか。後編を気長に待ってください。

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