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「あの、失礼します……」

 恐る恐るドアを開け、中を覗き込む かろん。まるで小学生が校長室に呼び出されて入るのをためらっているような、そんな緊張感を漂わせている。もちろん かろんは見た目通りの少女ではないし、ここは校長室でもない。

「えっと、入っていいんですか?」

 かろんは遠慮がちに、後ろで見ている少女達にそう尋ねる。頼香、果穂、来栖の三人がその様子を見ていたのだが、どことなく面白がっている表情だ。

「おいおい、この場合は『ただいま』だぞ」
「そうですよ。今日から かろんさんの家なんですから」
「いいよなぁ かろんちゃんは。三人一緒に楽しく暮らせるんだもん」

 頼香と果穂が暮らしているマンションの廊下。「戸増」と「庄司」の表札が掲げていある扉の前だ。かろんに早く入れとにこやかに促す三人。わずかに戸惑いの色を見せたが、ここで迷っていては頼香達に迷惑だし、何よりこれからお世話になる第一歩だ。初めが肝心であるというのは、アンドロイド――セルカバリィの思考パターンにもあるのだろう。意を決してしっかりとした一言を発する。

「ただいま」

 その言葉に頼香が満足そうに頷くと、かろんに続いて部屋に入る。こちらの表情は自分の家に帰ってきたという安堵感だ。同居の果穂も同じような表情。いつもの様に部屋の中――留守番の もけと からめるへと声をかける。来栖も馴染みの友達の家ということもあって、気軽に声をかける。

「もけ〜、からめる〜、ただいま」
「ただいま帰りました」
「みんな、お邪魔するね〜」

 リビングのテーブルの上で出迎えるプレラット星人が二人。ハムスターが出迎えてくれるという事は、よくよく考えるとあり得ない図なのだが、頼香達のマンションでは日常の事なのだった。

「頼香、遅かったな」
「ごめんごめん。ちょっと近所を案内してたからさ」
「ちょっとお腹空いたでちゅね」
「かろんさんの部屋の準備前に、先程のケーキで一息つきませんか?」
「賛成〜♪ さ、かろんちゃん入った入った」

 盛り上がる三人娘に押されるように、玄関から中に入る かろん。もけ達の待つテーブルに椅子が4つあるのでそこに座ればいいのだろう。そう思って進むと、頼香が慌てたように かろんを押しとどめる。

「あ、ちょ、ちょっと待て、かろん」
「え?」
「靴脱げ、靴」

 かろんは不思議そうに自分の足元を見る。頼香達の足元に目を向けると、靴を脱いでスリッパに履き替えていた。どうやら、この部屋の中では靴を脱ぐという風習があるらしい。慌ててかろんもスリッパに履き替える。何となくバツの悪そうな表情だ。

「かろんちゃん、ミリーサスでは靴脱がないんだ」
「ええ、そのまま入っていくのが普通でしたから……すいません」
「そっか。かろんが知らないって事を全然意識してなかったからな。悪かったな」
「いえ、知らなかったボクが悪いんですから」
「ま、次から気をつけてくれればいいからさ」

 頼香が気にするなとばかりに かろんの肩にぽんと手を乗せる。どうもこの少女を目の前にすると、古代文明のアンドロイド――セルカバリィであることをついつい忘れてしまう。その辺は来栖も果穂も同じように思っているようだった。

「皆さん、座ってください。今お茶入れますから」
「それじゃ、ケーキ出すね」
「あの、ボクも何かお手伝いを……」
「そうだな、それじゃかろんにも手伝って貰うか。戸棚から皿出してくれ」
「これですか?」
「ああ、人数分並べてくれ」

 やがて部屋に漂う紅茶の香り。ケーキの箱を開けることで甘い香りも加わり、少女達の午後のひとときが始まった。



らいか大作戦
 Selfcavalies' Last-shine

〜第2話〜

作:かわねぎ
画:MONDO様




 紅茶が注がれたカップを手に取り、その香りを確かめる かろん。現在アクセスできるデータの中にも、似たようなミリーサス星の茶葉があったはず。さすがに味まではデータにはないようで、恐る恐る一口含んでみる。これが地球の紅茶の味……そう確かめた かろんは、頼香達の視線が自分に集まっているのにふと気が付いた。

「え、な、なんでしょうか?」

 慌ててカップを置き、畏まる かろん。また何か連合や地球の風習に反することをしてしまったのだろうか。「いただきます」は確かに言ったので、それ以外の事だろう。もしかしてテーブルマナーとしてケーキを先に食べなくてはいけなかったのか。頼香達の真似をすれば良かったとわずかに後悔する。

「あ、ごめんごめん。つい気になってさ……」
「え?」
「かろんちゃんって、飲み物も食べ物も大丈夫なんだ」

 かろんが紅茶に口を付けるのをじっと見ていた頼香達三人。かろんが人間と同じ物を食べることが出来るかどうか、最初に気が付くべきところなのだが、ついついお茶を四人+二匹分用意してしまったようだ。

「ボク達セルカバリィは人間の方と一緒に過ごすのが前提ですので、食事も一緒に出来るようになっているんです」
「なるほど、そうでしたか。同じ物が食べられるなら、おかゆライスにしなくても良いんですね。それをエネルギーに変換するのですか?」
「はい。ボク……このCCX-006の身体もそうです。変換効率は状況によって最大95%まで調節できるようになっています」
「それはすごいですね」

 かろんの説明を聞いて、軽い驚きの表情を浮かべる果穂。95%のエネルギー変換効率というのは食べ物の『消化』だけでは到底達成できない。いざとなれば分子の持つエネルギーをほとんど取り出せるという事なのだろう。物質・反物質の対消滅エネルギーには及ばないが、人間サイズでそのような高効率のエネルギー変換器の製作は連合の技術力を持ってしても成し得ていない。それ故、技術者としての興味がわいてくるのであった。

 そんな果穂をさておき、来栖がケーキにフォークを突き刺しながらちょっとした疑問を口にする。

「あれ? かろんちゃんは味とかは分かるんだよね」
「はい、味覚はちゃんとあります。この……ケーキ、ですか? すごく美味しいです」
「よかった。味がしないんじゃ楽しくないもんね」
「だろ? 『スイートリーフ』はこの辺じゃ一番だからな」

 食事にせよお茶にせよ、味覚があるのと無いのとでは天と地ほどの差がある。振る舞う方も気合いの入り方が違って来るという物だ。頼香が得意気に――自分はケーキを買ってきただけだとしても――かろんに説明する。

「紅茶もお代わりありますから、遠慮無く言ってくださいね」
「はい、ありがとうございます」

 果穂が頼香のカップに紅茶を継ぎ足しながら、かろんにもおかわりを勧める。かろんはわずかに残った紅茶を飲み干して、そっと果穂の方へカップを差し出す。それに合わせて来栖も一緒に差し出す。新しい茶葉なので、またも紅茶の香りが拡がる。

「かろんちゃんは明日から学校行けるの?」
「ああ。司令部の許可も貰っているし、手配も大体終わってる」
「楽しみだね」

 頼香達は かろんを学校に通わせる手配をしていた。頼香達の所属する宇宙基地TS9からは、ミリーサス遺跡の『発掘物』であるかろんの常時監視を命じられていたので、小学校へ一緒に通わせることで監視の手を休めないようにするつもりであった。

 もっとも、来栖はもちろん頼香に至っても『監視』というよりも一緒に学校へ通いたいという意識があったので、司令部に強く掛け合ったのは言うまでもないだろう。果穂も含めて盛り上がる三人の脇で、かろんは少し疑問な表情をする。

「あの、すいません……その、ガッコウというのがまだよく分からないのですけど」
「あれ? かろんちゃんって学校知らないの?」
「ごめんなさい。ミリーサスにはそのような言葉がありませんでしたので……」
「みんなで一緒に勉強するんだよ。同じ教室でね」
「集合教育の一種なんですね。そんな風習があるのですか」

 来栖の言葉の意味は分かったが、今ひとつ実感が掴めないといった表情のかろん。来栖にとっては学校など当たり前の事なので、かろんの当惑が今ひとつ掴めない。そもそもミリーサスでは学校というのが無いのだろうか。

「ミリーサスって、学校が無いの?」
「必要に応じて集合教育は行いますが、常設の『教室』に何年も通うという事は無いです」
「友達と一緒じゃないと、つまんないね」
「そうなんですか?」
「だってそうじゃない。友達と一緒の方が絶対楽しいよ」

 来栖の言うことはもっともだとばかりに頷く頼香と果穂。元が成人男性とはいうものの、女子小学生になって数ヶ月。年齢がはるか下のはずのクラスメイトと仲良く遊ぶのが楽しくなってきているのは、『女子小学生』として慣れてきたと言うことか。かろんはそんな来栖達を少し不思議そうな眼差しで見ている。

「友達ですか……ボクにも同じように仲良くしてもらえるのでしょうか」
「かろんちゃんとはもう友達じゃない。心配することないよ」
「そうですよ。私達のクラスの人達なら仲良くなってくれますよ。あ、頼香さん、同じクラスになるんですよね」

 クラスメイト達のことを思い浮かべながら、かろんの心配を解こうとする果穂。なにせ果穂は元はこのクラスの担任。自分の教え子であった今のクラスメイトの事は把握しているつもりだ。

「ああ。四人一緒の方が かろんにとっても良いだろうからな」
「でも、転入生って頼香ちゃんと果穂ちゃんでしょ。三人目だね」
「ちょっと1組に偏るのは不自然だけど、その辺は何とかなるだろ」
「そうですね。その方が楽しいですしね♪」
「やったぁ」

 素直に喜ぶ来栖と少し不安げな かろんを見ながら、頼香はかろんを住まわせるための手続きについて考えを巡らす。戸籍やら住民票やらの書類の作成はもちろん、かろんの人間として11年間の『過去』も作らなくてはならない。かろんがセルカバリィであることを隠すための、クラスメートに尋ねられた時の簡単なプロフィールなのだが、設定した『過去』を上手く演じてくれるかどうかが心配だ。果穂や頼香もその道を通ってきたが、起動したばかりのセルカバリィが芝居を出来るかどうか。

「ともかく、俺ともけの方で手続きを済ませておくからな」
「よろしくお願いします」
「まぁ、ほとんど終わってるんだけどな」

 そう言って一口紅茶をすする頼香。惑星連合の技術を持ってすれば、地球上のデータベース等への侵入や改竄はたやすい。加えていざとなれば密約で政治的圧力をかけることさえ出来るので、連合の人間が地球で活動する際の身分はいくらでも作り上げることができるのである。それと同じ事を かろんに対しても当てはめれば良いだけだ。

「後はかろんさんの身の回りの物を揃えなくてはなりませんね」
「身の回りの物って?」
「家具に服といったところですか」
「そうだな。かろんが好みのを選んでくれればいいんだけど、女の子の服とか、最初は分からないか」
「じゃぁ、みんなで買い物行こうよ」
「そうですね。今度の土日にどうでしょうか」

 今度はかろんの服をどうするかで盛り上がる三人娘。女の子としては、自分の服であっても友達の服であっても、買い物するのが楽しいらしい。頼香や果穂にしても数ヶ月前までは全く縁のない世界であったのだが、今や自分から似合う洋服を選ぶ様になってきている。そう言った意味ではもう立派な女の子だ。

「あの……二ヶ月後には男の子の身体に戻る訳ですし、そんな手間をかけていただいては……」
「でも、毎日着るんですよ。いつまでも日東小の制服を着てるわけにもいかないかと思います」
「そうだぞ。その後は俺や果穂のお気に入りまで貸せって言うのか?」
「そう言うわけでは……」
「ま、それは冗談としてもだ。果穂の言う通り、揃えておいた方がいいと思うぞ」
「そうですよ。可愛く装えるのは女の子の特権なんですから」
「いや、別に可愛くなくても良いのですが……」
「「「だめだ/です/だよ」」」

 そう言い切る果穂に、頼香も同意を示すように頷く。もちろん来栖も乗り気であることは言うまでもないだろう。女の子の服など分からない かろんは、三人の盛り上がりに圧倒されてしまい、残った紅茶に口を付けて三人のやり取りを聞いていた。

 女の子な話題にほんのわずか気後れする かろんだが、話はきちんと聞いているし、相槌だって打っている。どうやら今度の休みにショッピングモールに買い物に行くそうだ。まだよく知らない文化が詰まっているらしい『店』への買い物。自分の服という目的でなくとも、興味深い話だ。

 話を聞いているうちに、かろんはふとした感覚を覚えた。自分の『記憶』にない感覚なのだが、身体のセルフチェックをしてみると原因がつかめた。感覚の違いはおそらく身体がCLBシリーズかCCXシリーズかの違いなのだろう。手にしているカップをソーサーに戻し、おずおずと頼香達に尋ねる。早急に処置しなければ大変な事になる。

「あ、あのぅ……」
「どうした?」

 頼香が不思議そうに、もじもじしている かろんの表情を見つめる。

「お手洗いどちらでしょうか……」
「ああ、そこ出て左」
「ありがとうございます」

 席を立つと、かろんは小走りにリビングを出て行った。そんな様子を見て感心したような表情の来栖。

「かろんちゃん、トイレもするんだね」
「まぁ、食う物食うしな。当然するんだろ。ますますアンドロイドとは思えな……」

「うわぁぁぁぁ!??」

「かろん!?」
「かろんちゃん!」
「二人とも、落ち着いてください」

 トイレの方から かろんの叫び声が起きると、すかさず頼香が席を立つ。その素早さは軍隊訓練の賜物か。来栖がそれに続くが、果穂が席に座ったまま二人を制する。そんな果穂に頼香が身を乗り出すようにしてまくし立てる。

「果穂、何落ち着いてるんだ! かろんに何か……」
「いいですか、頼香さん。かろんさんはもともと男の子の身体だったんですよ」
「それと何か関係が……」

「な、ないぃぃぃ!?」

 再びトイレの方からの叫び声を聞いた頼香と来栖は立ったまま唖然とした表情になる。先に立ち直ったのは頼香の方で、自分も過去に思い当たる節があったのだろう。果穂が落ち着いているのも同じ理由らしい。

「ですよね?」
「……そういう……事か」

 来栖はというと、やっと事情が飲み込めて、顔を赤らめながら果穂に尋ねる。

「え、えっと、ないって……男の子だったから……あ、あれの事?」
「ですね、おそらく」
「……これ、学校でやらなくて良かったな……」
「そだね」

 しばらくした後、かろんが顔を真っ赤にしてリビングに戻ってきた。女の子のトイレにしても、結構時間がかかったのは仕方がない事なのだろう。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 翌日。頼香と果穂はいつもよりも1時間早くマンションを出て学校に向かった。もちろん初登校の かろんも一緒。転校初日と言うこともあって、色々と手続きやら何やらがあるのだった。本来ならば保護者も一緒にという事になるのだが、その辺も根回しというか裏工作を済ませており、後は校長先生と担任の先生と顔合わせをすればいいだけになっている。

 いつもの通学路を並んで歩くセーラー服の三人。うきうき顔の果穂と、そこまでは顔に出さないまでも、どこか嬉しげな頼香。その間に挟まれるように歩いている かろんは少しだけ心配そうな表情である。

「あのぅ……本当にボクも一緒に学校へ行っていいんでしょうか」
「ああ。もう手続きも済ませてあるし、何の心配もないぞ」
「はい……」
「どうしました?」
「果穂さんや頼香さん、それに来栖さんと一緒に行けるのは嬉しいんです。でも……」
「でも?」
「他の皆さんも仲良くしてくれるのでしょうか」

 今までクラスとしてまとまっている集団へと新たに飛び込んでいく かろん。その集団に受け入れられるのかどうか、不安になるところだろう。同じように頼香や果穂も転入の経験があるので、かろんの不安な気持ちは理解できた。

「俺たちも転入してきた時は不安だったけどな」
「クラスの輪の中に入っていけると思いますよ」
「まぁ、男子の中には口の悪い奴もいるけどさ。本気で悪気のある奴はいないはずだしな」
「ええ。でもかろんさんにはお願いがあるんです。友達を作るなら是非とも自分から進んで作って欲しいんです」
「自分から、ですか」
「はい。待っているだけではダメで、自分から飛び込むんです。頼香さんも私もそうでした」

 果穂よりも先に5年1組に『転入』してきた頼香は、転入当初からクラスの中にとけ込もうとして積極的に交友範囲を広げていて、果穂もそれを当時担任として覚えていた。ちなみに果穂の場合はずっと担任としてクラスの皆を見てきただけに、とけ込むのも早かった。

「おっと、一応校門に入る前に。ここが日東小だ」
「これが『学校』というものですか……」
「これから毎日来るところですよ」

 日東小の校門の前で一旦立ち止まる三人。感慨深くその校舎を仰ぎ見る かろん。今日からの学舎。地球、そして日本という異文化での生活の一つのはじまりでもある。

「ここが、ボクが地球の文化を吸収……勉強するところ……」

 正直言って不安なのだが、頼香や果穂、そして来栖が同じクラスというので、その点は心強く感じていた。

「おい、まずは先生の所に行くからな」
「あ、はい」

 感傷に浸っていたかろんが、頼香の声で現実に引き戻される。先に校門をくぐっている頼香と果穂を慌てて追いかける形になってしまう。小走りに追いつく かろん。

「いいですか、かろんさん。スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻さないようにゆっくりと歩くのが日東小での嗜みなのです」
「そうなんですか」
「……あのな、果穂……」
「もちろん遅刻ギリギリで走り去るなどといった、はしたない生徒など存在し……」

 果穂の口上の最中に、猛ダッシュをしてきた女子児童が、果穂達を認めるや速度を落として挨拶をする。当然「ごきげんよう」などという優雅なシチュエーションではなく、慌てるペースを落としたくないのか、その場駆け足のままだ。

「うわぁぁぁ、朝練に遅刻遅刻ぅ……頼香に果穂おはよう、っと、もう一人誰……って、まぁいいや。後で教室でな!」

 そのボーイッシュな女子児童は同じクラスの典子だった。一気にそう言い切ると、再びセーラーカラーを翻しながら、体育館の方へと走り去っていく。その様子を見てあっけに取られる かろん。

「あの、あの方は……翻しまくっていますけど……」
「相変わらずですね……典子さん……」
「まったく典子らしいよ。あいつも同じクラスなんだ。紹介とかはまた後でな」
「はぁ……でもここでの嗜みに外れた行為はよろしいのでしょうか」

 果穂に先程言われた事が気になるのか、真顔で尋ねる かろん。頼香は軽く果穂に非難の視線を送ってから、かろんに対して教えるように答える。

「えーと……かろん。別に普通でいいんだ普通で。果穂の言ったことは忘れていい」
「先程のは冗談ですからね、かろんさん」
「冗談……ですか?」

 果穂と頼香に言われた事の違いに戸惑いの表情を隠せない かろん。その『冗談』というのが正直まだよく分からない。仲間内で無害な言葉や状況のミスリーディングを楽しむ事らしいのだが、何の効果があるのだろうか。情報処理セルカバリィの かろんにとっては、どうしても額面通りのエラーとして捉えてしまう。

「かろんさん、まだ緊張してます?」
「あ、はい。まだちょっと緊張が。その『冗談』という物を考えたら、少しは気が紛れてきましたけど……」
「あ、それはあるかもな。さっきの典子みたいに気さくな奴も多いから、楽に考える事だな」
「はい」

 そんなお喋りをしながら、昇降口にある下駄箱で屋内用上履きに履き替える頼香と果穂。この辺は毎朝繰り返している事だけに、無意識に済ませてしまう。かろんも同じように上履きに履き替えようと上履き入れから真新しい靴を出し、小さな足をその中に滑り込ませた。

「ここも靴を脱ぐんですね」
「上履きに履き替えるんだ」
「今まで履いてきた靴はどうするんですか?」
「あ。かろんさんの下駄箱は決まってませんでしたね」
「それは先生に会ってからだな。とりあえず空いてるところに入れればいいか」

 普段ならこのまま5年1組の教室に行くのだが、今日はかろんの転入初日という事もあって、まずは職員室に行く。教育委員会やら校長やら上の方に手を回してあったのだが、実際に校長や担任の教師に会うのは今日が初めてだ。

「お、おはようございます。瀬上かろんです」
「瀬上さんね。担任の丸山ゆかりです。よろしくね」
「よろしくお願いします」
「それじゃ瀬上さんは校長先生と少しお話しがあるから、戸増さんと庄司さんは教室に戻っていてね」
「「はい」」

 一礼して職員室を出る頼香と果穂。職員室までは二人が一緒に案内してくれたが、先生に会ってからは かろん一人となってしまう。頼れる人がいなくなってしまうと、少しは薄れたはずの不安と緊張が再び戻ってきてしまう。それが表情に表れてしまったのか、丸山先生が優しくかろんに声をかける。

「瀬上さん?」
「あ、はい」

 苗字を呼ばれて、まだ慣れていないのか一瞬遅れて答えるかろん。瀬上(せのうえ)という苗字は果穂の母の旧姓である。戸籍を偽造する際に既存の物を加工するのが簡単なので、果穂の承諾の元、瀬上姓を名乗る事にしたのだった。

「緊張しなくていいのよ」

 これから始まる学校生活。不安もあるが期待もそれと同等にある。ただ、いまは不安が上回っているのか、神妙な面持ちで丸山先生の話を聞いている かろんだった。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★

「おはよー」
「おっす。昨日のイクスレンジャー面白かったよな」
「それよりさ、聞いたか? 今日さ……」

 5年1組の教室。今日は朝から教室の中がざわついていた。『今日転入生が入ってくる』という噂が既に立っており、男子も女子も珍しく一つの話題で持ちきりになっていた。

「ね、ね、みんな、知ってる? 今日入ってくる転入生って女の子なんだって」

 当然頼香達三人の所にも話題が転がってくる訳で、クラスの仲の良い女子の一人、信夫美優が頼香の机に身を乗り出して、今朝聞いた「情報」を得意げに披露する。話の真偽はともかく、噂話が好きな年頃なのだろう。

「ああ、その話な」
「え? もう知ってるの?」
「ええ、まぁ大体の所は。可愛い娘ですよ」
「そうだよね」
「え、もう会ったの? 果穂ちゃんも来栖ちゃんもずるーい。知ってるなら教えてよ」

 あっさりと知っていると答える頼香と、それに同意する果穂。そんな二人の答えに、美優はほんのちょっと頬をふくれさせてしまう。その態度には、自分よりも先に情報を仕入れていて、あまつさえ可愛いという評価まで行っていた三人に対するほんのわずかの羨望が混じっている。

「美優ちゃん、仕方ないよ。だって果穂ちゃんと頼香ちゃんは……」
「おっと、来栖そこまでだ。そろそろ朝の会が始まるぞ。美優も戻った戻った」
「な〜んだ、もっと聞きたかったのに……」

 来栖の話を遮る頼香。クラス中が転入生に対して興味津々な状態の今、一緒に暮らすことになったという話をしたら、質問攻めにあうのは火を見るよりも明らか。先生が入ってくるまでの間、釈放されることはないだろう。予防線を張っておくに越した事はない。

「だいいち、記者会見の相手が違うだろ」
「それはまた別だよ。今は聞き込み♪」
「聞き込みって、刑事かお前は」

『キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン♪』

 授業開始のチャイムが鳴っても、先生が入ってこないので、まだ教室内のお喋りが続いている。頼香達の元から追い払われた美優も、これ幸いと他の女子児童と噂話の延長戦だ。だが、それもつかの間。5年1組の担任、丸山先生が かろんを連れて教室に入ってきた。

「はいはい、みんな。静かにしなさい」
「起立〜 礼〜」
「「「おはよ〜ございます」」」
「着席〜」
「みんな、早速噂してたみたいね。今日はこのクラスへの転入生を紹介します」

 教室の中は静かになったものの、全員の目が転入生の かろんに集まっている。教壇の側に立っている かろんは緊張と不安が混じったような表情だ。手を前に組んで畏まっているので、手に当たるスカート、その裾が自分の足に当たる感覚によって自分が女子の制服を着ていることを改めて認識させられる。

(ボク……女の子の恰好でみんなの前に……)

 そんな事を考えると、ますます恥ずかしさというか居心地の悪さを感じてしまう。そんなかろんの気持ちはつゆ知らず、丸山先生は黒板にかろんの名前を大書きする。

「一緒に勉強する事になった瀬上かろんさんです。瀬上さん、自己紹介いいかしら」
「は、はい。ええと……ボクの名前は瀬上かろんです」

(へぇボクだってさ)
(噂通り可愛いなぁ)
(あの八重歯がなんとなくいいなぁ)
(お前、好みなんだ)
(バ、バカ、ちがわい)

 男子児童のささやき声から早速女子として扱わている事を自覚させられ、かろんは顔を赤らめてしまう。ついつい頼香達の席の方に目を向けるが、助けを求めるわけにもいかず、自分一人で乗り切らなくてはならない。昨日のシミュレーションとは違って、どうしても言葉に詰まってしまうが、なんとか昨日を思い出して言葉を続ける。頼香達の作ったプロフィールだ。

「え、ええと……両親の仕事の都合で外国にいました」

 一言話した後に、クラスの反応を見るかろん。頼香を含めて水を打ったように静まりかえっている。意外におとなしく聞いている5年1組の児童達。この辺は丸山先生か前任の庄司先生の教育の賜物だろうか。

「……という訳でボクだけ先に帰国しました。ちきゅ……あ、いえ、日本に慣れない事も多いですけれど、皆さん、よろしくお願いします」

 一気に言い終わって、かろんはぺこりとお辞儀をする。誰かがぽつりと拍手をすると、それに続いてクラス中で拍手がわき起こる。緊張が解けたからか、拍手を受けて照れているのか、かろんの頬にわずかな赤みが差す。

「瀬上さん、机は後ろになるけど、庄司さんの隣ね」
「はい」

 丸山先生がかろんの席を説明すると、果穂が軽く手を挙げて自分の隣だという事を示す。列の一番後ろの席に腰を下ろすときに、果穂がそっと小声で話しかける。

「かろんさん、ご苦労様でした」
「これでよかったんでしょうか?」
「ええ、満点です。これで かろんさんもこのクラスの一員ですね」

 かろんはほっとしながら次の時間の教科書を机の上に広げる。果穂の言う通りこれからこのクラスの一員だ。『授業』というものがどういうものか、昨日頼香達に話を聞いたが、やはり実際に受けてみる段になると興味津々になってくるものだ。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 次の休み時間。クラスの女子が転入生のまわりに集まってくるのは当然予想していた事だった。もちろん かろんへの質問攻め。ただ、予想外だったのは何故か矛先が頼香の方にも向いてきた事だった。

「で、瀬上さんへの質問も山ほどあるけど、頼香ちゃん」
「え?」
「一緒に住んでるって、本当?」
「ああ。今かろんが言った通り」

 何で俺に話を振るんだとばかりに答える頼香だが、まわりの女子児童達が一斉に頼香に詰め寄る。

「「「なんで黙ってたのよ!!」」」

 その勢いについたじろぐ頼香。そういう面白い話を何故黙っているのか、うわさ話が好きになる年頃の児童達にとっては許し難い事だったらしい。これから同じクラスで勉強する仲間だけに、紹介して貰うのが当然。自分一人で秘密にしておくなんて大問題なのだろう。

「そ、そんな事言ってもさぁ……俺と一緒に住んでるって言ったらお前ら全員色々聞くだろ」
「当たり前よねー」「うんうん」
「それに典子も朝一で見てるはずだし……聞いてないのか?」
「あ、頼香ごめん。朝の会ギリギリまで朝練だったから」

 頼香は助けを求めるように典子の方に話を振ろうとするが、あっさりとかわされてしまう。

「そ、そっか。だとしても、1時間目が終われば分かる事だし……」
「自分ばっかり先に仲良くなってるしー」「ずるいよねー」
「ずるいって……一緒に住んでるからしょうがないだろ……」

 強気な性格の頼香も、さすがに女子児童の集団を相手にするのは大変らしい。なにせこの年頃になってくると、集団になった女の子のパワーには凄い物がある。何か誤魔化すための話題は、と思ったところでふと次の授業が何かに思い当たった。そういえば男子が既に別の教室へ移動している。

「そうだ、次の時間って体育だ体育。着替えないと……」
「それじゃ、頼香ちゃんと果穂ちゃんへの追求は着替えながらにしましょ♪」
「賛成ー」「異議な〜し」
「……なんでだよ……」

 うんざりしながら体操着入れを取り出す頼香。追求といっても責め立てる訳ではなくて、かろんの事を色々と教えて欲しいという事である。興味半分、一足先に仲良くしていた嫉妬半分と言ったところか。

 セーラー服を脱いで手早く畳む。頼香も女の子になった当初は、女の子の中で一緒に着替えるという事は恥ずかしかったのだが、最近では慣れてきたのか、以前ほど身構えるような事はなくなった。ただ、さすがに女の子同士のスキンシップ――年齢故に胸が膨らんで来ただとか、どの位か確かめてあげましょうだとかには、恥ずかしくてついて行けないものがある。同じ立場なのに平気な……むしろ喜んでやっている果穂の気持ちはよく分からない。

 だが、ただ着替えるだけなのに、恥ずかしがっている女子児童が一人。以前の頼香と同じように恥ずかしさが先に立っている かろんだ。女の子初心者だけに仕方ないのだろう。

「え、えと……着替えって……女の子の中で……」
「瀬上さんも早く着替えなきゃ」
「こっちこっちー」
「一緒に着替えよっ♪」

 クラスメート達の呼びかけに、体操着袋を胸の前に抱えて、どうしようかと悩むかろん。意識は少年だけに、同じ年頃の少女達が目の前で着替えていると、興味よりも恥ずかしさが先立ってしまう。それに自分がその女の子の一員であるということが、ますます恥ずかしさを加速させる。

「かろんさん、どうしました?」
「ここで着替えるんですよね……」
「ええ、体育ですから着替えませんとね。はい、どうぞ」

 お節介になるのだろうが、授業の始まる時間もあるので、果穂は かろんの為に用意した体操着袋から体操着を取り出して かろんに手渡す。袖口にえんじ色のラインが入った半袖の上衣と、えんじ色のブルマー。

「ぶ、ぶるまぁ、ですか」
「そうですよ、かろんさん」

 かろんの半ば慌てた口調に対して、何が問題なのか、とばかりに答える果穂。もちろんその言葉の裏では かろんの当惑を楽しんでいる節があるのは言うまでもないだろう。

「これを穿くんですか……」
「はい。日東小は幸いな事にスパッツではありませんから」
「そう言う事ではなくて、ボクは……」
「女の子ですから当然ですよね♪」
「ですけれど……」

 スカートよりは男女差がない衣服とはいえ、これも女の子の服という事で、着用に抵抗があるのだろう。だいいち恥ずかしい。かろんは体操着を手にしたまま迷っているのだが、もうすぐ体育の授業が始まってしまう。果穂もいつまでも恥ずかしがる かろんを見ている訳にはいかず、着替え始めるためにセーラー服を脱いでいく。

「かろんさん、急がないと授業が。お手伝いしましょうか?」
「い、いえ、自分で出来ます。自分で」
「遠慮しなくてもいいんですよ♪」
「思いっきり遠慮します。はい」

 慌てて かろんもセーラー服を脱いで体操着に着替えようとする。これ以上ぐずぐずしていると、果穂に無理矢理脱がされ……でなく、着せられてしまう事になってしまう。その方がよほど危険な事と察したのかは、戦闘用の勘か情報用の分析か分からないが、諦めて女子の体操着へと着替える事にしたようだ。

「へぇ、かろんって……」
「あー、私と同じ位だね」
「確かめてみましょうか♪」
「か、果穂さん、ダメです!!」

 来栖は遠慮無く、もちろん果穂は言うまでもないが、頼香までちらちらと見ていたりもする。その他の女子児童からも含めて自分に注がれる視線に、思わず体操着で胸を隠してしまう かろん。どんぐりの背比べというか甘食の大きさ比べというか、そんなレベルに過ぎないのだが、やはり年頃なのか比較したくなるようだ。

キーンコーンカーンコーン♪

「あ、やばい。かろん、急げ」
「は、はい」
「クラスのみんなも一緒だから、慌てなくてもいいんじゃない?」
「来栖さん、それはちょっと……皆さん、急ぎましょう」

 かろんにとっては救いのチャイムと言っていいだろう。なにせこのままだと、クラス中の女子児童の注目を一身に集めていたかも知れないのだ。慌てて体操着に袖を通して運動帽をかぶり、みんなと一緒に校庭へと向かうのであった。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 今日の体育の時間はソフトボール。男女混成で2チームに分かれての試合形式だ。女子の中で、というよりもクラスの中で運動神経の良さでは一二を争う頼香は、当然のごとくピッチャーを希望して、今はマウンドに立っている。なにせ男子にも負けない位の球速があるだけに、その辺は男子からも一目置かれている。

「戸増ー、ツーアウト、ツーアウト」
「おー、打たせて取るからなー」

 試合といっても、体育の授業だけに勝敗がどうのこうのではない。バッターボックスに立つ児童になるべく打たせるようにと、ゆるい球を投げるように言われている。当たってもそれほど飛ぶわけではなく、内野の児童が取って一塁に送球といった、全員で楽しむ、実にほのぼのとしたものである。

 頼香の投げ方のせいもあって、詰まった打球が多いので外野にはあまり飛んでこない。しかも「余った」児童5人で外野を守っているので、外野といっても守備範囲がそんなに広い訳ではない。運動神経に余り自信のない果穂は、進んで外野守備にまわって、そんな試合風景をのんびりと眺めていた。

「頼香さんもいつもながら張り切ってますね。かろんさんのお手並みはどうなんでしょう」

 次のバッターは かろん。もちろんソフトボールは初めてである。他のバッターの様子を見ていて、頼香が投げてくる球をバットで打ち返せば良いという事はなんとなく分かった。それに昨日のうちにルールブックを果穂に見せて貰ったので、それは全て記憶してある。あとはタイミング良くバットを振ればいいだけだ。

「かろんちゃんの番だよ」
「は、はい」

 その次の打順になる来栖が、かろんの背中を押すようにバッターボックスへと促す。バッターボックスに立つと、見よう見まねでバットを構えてみるが、そのフォームは言ってみればバットを持って突っ立ているだけ。とても長打は望めそうにもない。

「「「瀬上さーん、がんばってー」」」

(さて……かろんの腕前はどの程度やら……)

 頼香はマウンドの上で、腕をぐるんと回してアンダースロー。初心者相手という事もあり、ゆっくりなスピードの球。ど真ん中で打てそうなのだが、かろんはあっさりと空振りする。やっちゃったという表情のかろん。味方チームのギャラリーもため息混じりだ。

「うあ、めっちゃ振り遅れ……」
「でも戸増も今日は甘い球投げてるから、当てれば……」
「当てても飛ばないだろ、あのフォームにあのスイングじゃ」

 打ち方も教えておけば良かったかな、と思いながら、キャッチャーからの返球を受ける頼香。構え直して、アンダースローで2球目を投げる。これまたストライクゾーンど真ん中へのゆるい球。

(初速とコースから見ますとこのタイミングで……)

 初球の時とは違って、今度は思い切ってバットを振る かろん。腰が入っていないのは相変わらずだが、打ち返すタイミングはバッチリだ。

カキーン!

 良い当たりとすぐに判断した頼香は、ポニーテールを振りかざし、外野、右中間の方へと振り向く。

「センター! ライト!」

 味方チームに檄を飛ばすも、打球は外野の頭上を軽々と飛び越してしまう。今までせいぜいゴロや内野フライに打ち取っていただけに、外野の守備が浅い物になっていたのが命取りなのだが、たとえ深い位置で守っていたとしても、無駄だったろう。

 野球場ならばそのままスタンドへと入る打球を恨めしそうな目で追えばいいのだが、ここは校庭。球拾いの意味を兼ねて、追いかけて捕球しなくてはならない。仕方ないとばかりに果穂を含めて外野三人が打球を追うために走り出す。

「かろんちゃん、回って!」
「余裕余裕、ゆっくり走っていいぞー!」

 一方、かろん達のチームでは、予想もしなかったホームランに沸き立っていた。バットを持って次の打順に備えていた来栖をはじめ、同じチームの児童からかろんへのかけ声が響く。それを聞いたかろんは、慌ててバットを投げ捨てて一塁へ走り出す。

 だが頼香が思ったよりも、それどころか当のかろんが思ったよりも打球は伸びたようで、遠くでパリーンとガラスの割れる音。校舎のあの辺は職員室か校長室か。

「「「あ」」」

 クラス一同、敵チームも味方チームもシーンと静まりかえる。ガラスを割ってしまった事はもちろんまずいと思うのだが、それ以上に割った場所がまずかった。小学生にとって職員室は緊張する場所だし、校長室に至っては、それ以上に畏れ多い場所なのである。

(やば……瀬上、転校初日に……)
(し〜らないっと)
(でも、わざとじゃないんだしさ……)

 どうしよう、と一二塁間で校舎の方を向いて立ち止まる かろん。判断に困ったような、わずかに泣きそうな表情。そんなかろんに頼香がグローブを外しながら近づいてくる。

「かろん」
「頼香さん……どうすれば……」

 気落ちするなと言う感じに かろんの肩をぽんと叩く頼香。かろんも自分が原因で『悪い事』をしてしまったという事は自覚している。ただ、どう対応すればよいのかが分からないのだ。

 ライブラリータイプのセルカバリィは『主人』に使われる事を前提に作られている。単純に頼香が主人であれば頼香に対して謝罪すればいい。だが、組織に組み込まれる事が初めての かろんは、学校というシステムの中でどう振る舞えばよいのかが正確に判断できないのだろう。

「え〜と、先生に謝りに行くか。俺も一緒に行くよ」
「でも打ったのはボクですし、頼香さんまで……」
「一人だと行きにくいだろ。それに投げたの俺だしな。まずはホームまで一周しておけ。ほら」
「は、はい……」

 頼香の言葉に従って、軽く駆け足でベースを回る かろん。その間に頼香もホームの方へ、つまり先生の所へと歩いていく。ちょうどホームを踏んだ かろんと一緒のタイミングで先生の前に並ぶ事になった。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 校長室。頼香と かろんが自在箒を手にして割れたガラスの片づけをしていた。授業でのアクシデントという事もあり、怒られる事はなかったが、ガラスをきちんと片付けるようにと言われていたのだ。まだ授業が続いている事もあって、校庭からソフトボールの歓声が聞こえてくる。

「かろん、破片で怪我するなよ」
「……」
「かろん?」
「あ、はい」

 黙々とガラスの破片を掃き集める かろんに、頼香が声をかける。だが、返事をするとまた黙って掃除を続けている。自分が原因なので自分が片付けるのは問題ないのだが、頼香にまでやらせてしまい、申し訳なさで一杯である。

 頼香もそんな かろんの気持ちを察したか、黙って自在箒を動かして飛び散ったガラスの破片の中で細かい物を掃き集めている。破片がある程度集まったところでちりとりを持った かろんがしゃがみ込み、頼香の箒の動きを受け止める。

「あ、あの、頼香さん」
「ん?」
「ごめんなさい、頼香さんまで一緒に……」
「いいって」

 ちりとりにほとんど集め終わったのだが、本当に細かい破片は取りにくい。頼香は自在箒を小刻みに動かしながらも、かろんの言葉を受け止める。

「先生も言ってたろ。わざとやった訳じゃないんだし」
「ご主人様である人間にご迷惑をおかけするなんてもっての他なんです」

 頼香に向けられた かろんの真剣な眼差しを見て、箒の動きを止める。

「かろん。その主人だとかは止めてくれ」
「え?」
「言ったはずだぞ、友達だって。対等って言い換えた方がいいか?」
「覚えています……ですけど、ボクは……」

 頼香はふっと頬を緩めて、かろんの両肩をしっかりと掴んで真っ正面に向き合う。一瞬びくっと身を震わせたかろんだが、頼香の優しげな眼差しにそっと身体の力を抜く。

「俺だけじゃない。果穂や来栖だってお前のことをそう思ってる。ちょっと失敗した位で嫌いにはならないさ」
「ですが、ボクはセルカバリィにあるまじき失敗を……」
「そんな深刻に考えなくてもいい。人間誰だって失敗を重ねるんだし。完璧だと言い切れる奴がいるか?」
「そのためのセルカバリィです。そのはずなんけど……」
「ん……かろんは慣れない環境、慣れない身体で頑張ってる。だから無理に……」

 頼香の言葉の途中で、かろんがいきなり頼香の手を振り解く。少女とは思えない力。突然の事に頼香は驚きの声を上げるだけだ。

「え?」
「頼香さん、危ない!」

 あっけに取られる暇を与えずに、すぐさま頼香を床に伏せるように押し倒し、何かから庇うように窓の外をきっと見据える。瞬発的な力で床に組み敷かれた頼香の後ろで、絨毯が焼け焦げる。

「フェイザー!?」
「動かないでください!」
「わかってる」

 頼香もいつでも立ち上がれるように足を組み替え、自在箒をたぐり寄せてオーラスティックの代わりに構える。防御のオーラバリアを展開させるために、核となる物が必要なのだ。増幅機能が付いているオーラスティックを使った場合ほどの強度はないが、遠距離のフェイザー射撃から身を守る目的では気休め以上にはなるだろう。

「……屋上か」
「ですね」

 射線から考えると、L字型になった校舎の屋上から狙ったと考えられる。だが、校長室から見上げたところには、人影は見られない。屋上の物陰に潜んでいるのか、それとも場所を移したか。どちらにせよ相手の方が有利。頼香と かろんは息を潜めて屋上をじっと見つめるだけだった。

キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン♪

 授業終了のチャイムが響き渡り、グラウンドや教室のざわめきが遠くに聞こえる。校長室だけあって廊下は騒がしくはならないが、明らかに授業中とは違った雰囲気。廊下も人が多くなるので、謎の狙撃者は身を隠したと思うのが順当だろう。

「何も起きないようですね……」
「そのようだな。一体誰が……」
「痛っ!」
「かろん?」

 もう大丈夫だろう。立ち上がろうとした時、かろんが右の手のひらを押さえて軽くうめき声を上げる。痛みに耐える表情だ。

「お前、血……」
「この位平気です……一晩経てば自己修復しますから……」
「そうは言っても手当てしないと」

 身を屈めたときに、ガラスの破片の上に手をついてしまったのか、切り傷が出来ていた。頼香はガラスの破片が刺さっていない事を確認して、ハンカチでかろんの傷口を押さえる。ゆっくりと赤い染みが拡がっていく。

「かろん、保健室行くぞ」
「保健室……ですか?」
「ああ、怪我したり具合が悪くなったりしたときに行く所だ」
「でもボクの修理が出来るような設備とはとても……」
「傷の手当てだよ。止血しておかないとな」

 頼香はかろんの手を取り、保健室に連れて行く。途中、通信バッジを通じて来栖と果穂に連絡しておく。保健室で手当しているうちに次の授業が始まってしまうと、教室で着替えが出来ないので持ってきてもらいたい。それに来栖は保健委員だから、色々と手伝ってもらえることだろう。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


「先生、いますか?」

 頼香は保健室の扉を開けて養護の先生に呼びかけるが、返事はなかった。困ったなとばかりに頭をかきながら、マキロンや脱脂綿の並ぶトレイの前に立ち、かろんを椅子に座らせる。これを使う位だったら、怒られはしないだろう。かろんに手のひらを広げさせる。

「ちょっとしみるけど我慢しろよ」
「は、はい」

 頼香はかろんの手に結んだハンカチをほどいて、傷口にマキロンをスプレー状に吹き付ける。傷は大きくないものの、深く刺さっていたためか、やはりしみるようだ。思わず顔をしかめてうめき声を上げる かろん。

「痛っ……」

 思わず手を引き戻そうとするが、頼香にしっかりと押さえられている。ガーゼで傷口を押さえ、包帯を巻いてあげる。頼香の手つきが意外に慣れているのは、連合のサバイバル訓練の経験からだ。メディカルキットが使えなくなった場合での救命処置は必修なのである。

「メディカルキットが使えれば、痛みなんか無く治療できるんだけどな。学校で使う訳にはいかないから帰るまでこれで我慢してくれ」
「はい……」
「よし、これで大丈夫」

 包帯を巻き終えた頼香が、そう言って包帯の端を結ぶ。かろんは包帯の様子を確認するように恐る恐る手のひらをなぞり、しっかり巻いてある事に感心する。惑星連合以上に科学の進んだミリーサスでは、『包帯』という物自体が珍しいのである。

「頼香さん、ありがとうございました」
「礼を言うのはこっちの方だよ」
「え?」

 トレーを片付けた頼香が、椅子に座ったままの かろんを優しく抱きしめる。頭を撫でると、ほんのわずか汗で湿った髪が指の間をすり抜けていく。

「ありがとう、かろん」
「い、いえ……ボクも夢中で……」

 女の子に抱きしめられるのが恥ずかしいのか、頼香にお礼を言われたのが純粋に嬉しいのか、はにかむ様な表情の かろん。ほんのわずか、頼香の胸元に身体を預ける。

 そんなかろんを抱きしめながらも、頼香は先程の事を考えていた。かろんが突発的に取ったのは、明らかに戦闘用セルカバリィの対応だった。かろん本人も自覚はしていない様子で、明らかに無我夢中の出来事。戦闘対応の行動パターンにアクセスが可能という事なので、後はどうやって自分の意志でアクセス出来るようになるか。戦闘訓練を一緒にやることで引き出せるのかも知れない。

「かろんちゃん、大丈夫ー……って、頼香ちゃん達何してるの?」

 そこへ、来栖がドアを開けて保健室に入ってきた。そこには かろんを抱きしめている頼香の姿――体操服姿の少女が抱き合っている図だ。来栖の訝しげな視線に、頼香は慌てて腕を解き、ほとんど飛び退くように かろんから離れる。

「あ、いや、これは、その、なんだ……」
「昼間から大胆ですね、頼香さん♪」
「果穂じゃあるまいし!」
「はいはい、頼香さんと かろんさんの着替えを持ってきました」

 果穂も何かを言い含んだような微笑みを向けながら、頼香とかろんにきれいに畳んであるセーラー服と体操着入れを渡す。変なところを見られてしまったばかりに、頼香の受け取り方は乱暴なものになってしまったが、かろんの方は丁寧に受け取る。

「サンキュ。でも一言多いぞ」
「果穂さん、ありがとうございます」
「先生には伝えておきましたけど、早めに着替えた方がいいかと思います」
「そうだな。かろん、着替えちゃおうぜ」
「は、はい」

 保健室には三人娘とかろんしかいないのだが、やはり着替えを見られるのが恥ずかしいのか、隅の方でこそこそと着替えるかろん。頼香にとっては果穂と来栖はいつも一緒に連合の制服に着替えたり、シャワーを浴びたりしているだけに、この二人が相手なら慣れている。とはいえ、時間がないので手早く着替えるというのは かろんと一緒だ。

「かろんさん、大丈夫でしたか?」
「はい。頼香さんに修理……手当てしていただきました」
「痛くない? ちょっと手出してみて……わぁ、頼香ちゃんも包帯巻くの上手だね」

 来栖は着替えの終わったかろんの手を取ると、両手でそっと包み込み、願い事をするかのように目を閉じる。きっちりとした包帯越しに想いが届け、とばかりに念じているようだ。

「治癒オーラですか」
「効くか?」
「効かなくても、おまじない。痛いの痛いのとんでけーってね」

 頼香が疑問に思うが、来栖は至って真面目であるし、何より かろんを心配しているのが表情からわかる。来栖の得意とする治癒能力のあるオーラ。痛みを和らげたり自然治癒力を促進したりする効果があるのだが、セルカバリィである かろんにどの程度効くのかは未知数だ。

「あ、何となく痛みが引いてきたような気がします」
「よかった。早く治ってね」
「本当に効いてたりしてな」
「気の持ちようなのかもしれませんが、案外効果があるのかもしれません」
「さて、さっさと着替えて教室に戻るぞ」
「あの、ガラス捨てに行かないと……」
「おっと、忘れるところだった。それじゃ果穂と来栖は先戻って、先生に遅れるよう言ってくれ」
「うん、わかったよ」
「はい」

 四人揃って保健室を出ようとしたときに、ちょうど授業開始のチャイムが鳴り響いた。果穂と来栖は教室へ、頼香と かろんは片付け途中の校長室へと、怒られない程度に小走りで向かうのであった。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 今日の授業も終わって放課後。頼香はU.S.S.さんこうから転送してきた からめると共に学校の屋上にいた。ちょうど校長室を見下ろす位置。体育の授業中に謎の狙撃者が立っていたはずの場所だ。手を伸ばして手すりを掴みながら見下ろす頼香と、こちらは肩の上で腕を組みながら見下ろす からめる。

「校長室のガラス交換は終わったようだな。かろんにはああ言ったけど、正直参ったよ」
「頼香、ここには人の出入りはあるのか?」
「いや、滅多にないな。先生の許可がないと入れない事になってるし、普段は鍵がかかってる」
「なるほどな。生徒は事実上入れないって訳か」
「そのはずなんだがな。けどこの足跡は……」

 頼香の言うように、屋上へのドアは施錠してあり、児童が勝手に出入りできないようになっている。教師達もあまり出入りしないので、端の方には土埃が吹き集められている様な状態になっているのだった。その為、頼香が掴んでいる手すりの近くでは、足跡が残ってしまうのであった。そして、最近付いたばかりの目新しい足跡も残っていた。

「これはどうみても子供の足跡だな」
「ああ。だけど日東小の上履きの跡じゃない」

 頼香と からめるは足跡を目で追う。子供、それも頼香達と同じ位の年頃と思われる靴のサイズだ。ところが、それは屋上に至るどのドアにも続いていない。まるで、空中から現れて空中へと消えてしまったとでも言わんばかりだ。

「転送でも使ったか?」
「まさか。この地球上で転送技術を使えるのは俺たちだけだろ」
「確かにな。だったら頼香はどう説明付ける?」

 からめるの問いに、腕組みをして考え込む頼香。惑星連合と地球の一部の国との間で密かに交流があるとは言え、連合の進んだ技術を供与している事はない。それ故に転送を使ったと考えると、頼香達を狙撃した人物は地球人ではないことになってしまう。もしくは、連合以外の勢力から技術を供与された者達か。

「狙われる心当たりは……ここであからさまに狙ってくるバカはいないと思うな」
「その心当たりがこんな辺境に来るわけないか」
「辺境辺境言うなよ。俺の……ライカにとっても四分の一は故郷なんだからな」
「それは悪かった。とりあえず足跡の付着物をスキャンかけといてくれ」
「ああ」

 からめるの指示に従い、足を屈めて足跡の上をスキャンしていく頼香。データが読み込まれると共に、初期段階の解析が進んでいく。

「フレイクス少尉」
「え?」

 その作業の間、からめるが頼香に問いかける。視線と手先は作業をしたままではあるが、わざわざ階級を付けた改まった呼び方に、頼香も気を引き締めて次の質問を待つ。

「地球駐留任務。頼香……頼之としてではなく、フレイクス少尉としてどうだ?」
「俺としては十分やりがいがあるさ。辺境って言われるほど寂れてないし、事件は起こるし、いろんな意味で充実してるよ」
「同感だな。プレラットやテランで言われるほど退屈な所じゃない事は確かだ」
「でも世間様にとっては出世コースから外れた辺境の地、なんだよな。ライカに悪い気もしてな」
「それは僕も身を持ってわかるけど。頼香もそれを気にしてるのか?」
「まさか。むしろ逆」

 からめると頼香の言う通り、地球やTS9近辺は辺境として扱われている。イーター事件での功績があるにもかかわらず、辺境のTS9へと配置転換になったのは、本人の希望もあるが、それ以上に事件の首謀者の派閥から距離を置かせようとする方面軍司令の配慮が働いていた。

「お偉いさんの思惑はともかく、TS9にいると学ぶべき所が多いよ。辺境と呼ばれる割にはいろんな種族の出入りが多いんだ。ピッタリだよ」
「そういえば、再適性評価受けたんだってな。ライカではなくて頼香自身のキャリアを積む気になったか」
「ああ。連合の士官になった以上、俺本人が納得する道を進みたいと思ってる」
「なるほどな」
「テランが気にならないって言ったら嘘になるけど、それよりこっちの方が色々と気に入ってるからな」
「ふむ、なら大丈夫みたいだな。まったくもけも心配性だ」
「え?」
「何でもない。軍務も恋人も頑張る事だな」
「ば、ばか。連合軍人たる者、そんな事……」

 からめるが何かを誤魔化すついでの一言に、ムキになって反論しようとする頼香だが、スキャン終了の小さな電子音に妨げられる。言い返す事は山ほどあるとばかりに頬を膨らませながらも、データをさんこうへと送信する操作を行う。そんな頼香を見ながら、ニヤリとしている からめるだった。

「さて、無駄話はこれ位だ。もけ達が待ってるぞ」
「ああ。データ送信も完了した。さんこうへ、2名転送!」

 頼香が胸の通信バッジを叩いてそう告げると、光が二人を飲み込み、一瞬後に屋上から消え去っていった。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 地球衛星軌道上、U.S.S.さんこう。頼香もさんこうへ戻り、三人娘は連合の制服に着替えてお仕事だ。かろんの怪我を本格的に治すために、医療室に集まっていた。かろんに向き合っているのは、来栖ではなくてなぜか果穂。それも白衣を上に羽織っていたりする。似合っているのだが、首にかけた聴診器は何の意味がある事やら。

「では かろんさん。胸出してください」
「え?」

 なぜ手のひらの怪我で胸なのだろうかと疑問に思いながらも、上着をまくり上げようとする かろん。聞き分けの良い子ですね、とじっくり観察しながらも真面目な表情を作ろうと努める果穂に、頼香がオーラハリセンを振りかぶりながら尋ねる。

「で? かろんに胸をはだけさせて何の意味があるんだ? 手の怪我に?」
「あ、いえ、こういうシーンでは定番ではないかと……」
「そんな定番は地球にもテランにも無い!」
「冗談ですよ、冗談♪」

 ハリセンの輝きが増してきたのを見て、慌てて言いつくろう果穂。心の中で舌打ちしながらも、真面目な表情に戻って、かろんの手を取って医療用スキャナで手のひらをなぞっていく。やはり聴診器は意味がなかったようだ。

「ねぇ、もけちゃん。なんで治療に使わないの?」
「スキャンだけならともかく、治療には種族ごとのデータが必要なんでちゅ。かろんちゃんの場合は連合で初めて遭遇する『種族』だから、一度サンプリングしなくてはならないんでちゅ」
「ふーん」

 そんな様子を見ながら、来栖は肩に載せた もけに尋ねる。データさえ集めれば次回からは適切な治療が行えるらしい。かろんの場合、治療というのか修理というのか微妙なところだが、セルカバリィ自体が生体エミュレーターなので、『治療』と言ってもあながち間違ってはいないだろう。

「データ収集は完了したので解析してパターンを記録するだけですが……」
「何か問題あるのか?」
「かろんさんの自己修復能力はすごいの一言です。こちらを見てください」

 果穂は診断データを収集し終わったスキャナをコンソールの上に置き、さんこうのコンピューターへとデータを転送する。データは逐次解析処理に回されると共に、現状の数値データと合わせて、かろんの傷の状態がモニターに表示される。それを覗き込む来栖と頼香と かろん。

「あ、もう治ってるね。よかったぁ」
「ガラスで結構深く切ってたんだけどな」
「え? 本当に直ってますね……」

 かろんの傷が治っている事に素直に喜ぶ来栖と頼香だが、かろんは当惑した表情だ。右手を握ったり開いたり。学校にいる間は特に意識しなかったのだが、いつの間にか痛みは消えていたし、自己診断をしてみると確かに修復が完了している。モニターに現れたスキャンデータが正確である事は、誰よりもかろん本人が知っているのだ。

「この早さはすごいですね。さすがはセルカバリィといったところですか」
「違うんです。ボク達セルカバリィの自己修復能力はそこまで便利じゃありません」
「え? 戦闘用の能力の一つとして回復が早いとばかり思っていました」
「それについてはボク……CLBでもCCXでも変わりはありません」

 自分でもわからないという表情をする かろん。修復の見積もりは校長室で頼香に告げた通り、一晩を見込んでいた。セルカバリィに自己修復能力が備わっているとしても、それだけの時間がかかるはずだったのだ。だから、今の段階で傷が治っているのは、かろんにとっても不思議な話だ。

「私のオーラが効いたんじゃない?」
「え? 来栖さんにしていただいた? でもセルカバリィのボクに効果があるとは……」
「いや、十分考えられるかもな。果穂、その辺も調べておいてもらえるか?」

 来栖の何気ない一言に異議を挟もうとする かろんに対して、頼香は十分にあり得るとばかりに来栖の言葉にうなずく。頼香にはかろんとして目覚める前のCCX-006とオーラブレードを交えた経験がある。その時のオーラ攻撃が効果的だったと言う事は、逆にオーラでの治癒も効果があるという事が当然考えられる。それについては、果穂と からめるが今後検証してくれる事だろう。

「わかりました。データは処理して私と からめるさんとで解析しておきます」
「オーラ治癒効果があるかどうかは置いといて、とにかく治って良かったよ」
「皆さん、ありがとうございます」
「礼を言うのは俺の方だよ。俺をかばってくれたんだから」

 右手のひらを握ったり開いたりしながら、三人と2匹に礼を言う かろん。頼香はそれを遮って逆に かろんに礼を言う。保健室で一度言ったものの、途中で邪魔されたような形になったので、改めてだ。

「でもさ、頼香ちゃん。その襲ってきた奴って、正体はわかったの?」
「さっき からめると一緒に現場を調べてきた」
「それで?」
「解析にかけてもらってる。結果が出るまではもうちょっとかかりそうだけどな」
「一体何者なんだろうね」

 来栖の心配は かろんの怪我もそうだが、かろんと頼香がフェイザーで狙われたという点にも向けられている。謎の襲撃者による狙撃。強度は校長室の絨毯を焦がした程度とは聞いているが、その気になれば、頼香達を致死レベルで狙撃できたという事でもある。

 頼香としても、その解析結果が出るのを待っている。狙っている相手が何者なのか。わずかでも手がかりがあれば対処のしようがあるというものだ。今の状態では一方的に受け身の状態に回らざるを得ない。

「いずれにしても からめる達の解析結果待ちだな」
「今の段階で解っている事は……」

 頼香の肩の上に載っていた からめるが、ひょいとコンソールの上に飛び移る。コンソールを操作して、とあるデータをモニターに映し出す。表示されるデータは果穂が解析しやすいように地球の文字に変換してあるのだが、それ以外は連合標準のフォーマットだ。それを覗き込む来栖だったが、理解できなかったのか、すぐにからめるに助けを求めるように質問する。

「うんくのぅん? からめるちゃん、これは何なの?」
「Unknownだ。地球人なのに読めんのか」
「だって学校で英語習ってないもん」
「それはともかくだ。屋上に残っていた足跡付着物の一次分析結果なんだが、未知の物質って事だな」
「地球上の既知物質では無いと言う事ですか」
「連合も含めてな」

 からめるの言葉に腕を組みながら答える頼香。からめるに提示されたデータは、頼香にとっても意外だったようだ。

「地球外だけなら納得いく結果なんだけど、連合外とはな……」
「そうでちゅね……何かしら手を打つにしても、もう少し情報が欲しいでちゅね」
「詳細分析はテランのデータと照合させてからだな。二人とも明日まで待ってくれ」
「わかったでちゅ。お願いしまちゅね」

 さんこうのコンピューターに蓄えられているデータにも限りがある。それを補う為にTS9やテランまでデータを参照しに行くのだが、いかんせんデータのやり取りだけで往復19時間もかかってしまうのである。

「そうなると、後は結果待ちか」
「そうでちゅね。あ、果穂ちゃんと来栖ちゃんは上がっていいでちゅよ」
「では、先にミーティングルームでお茶の準備しておきますね。かろんさんも上がっていいんですね」
「はいでちゅ」

 もけがそう言うと、来栖の肩から頼香の肩にぴょんと飛び移る。頼香は連合の正規軍人なので、何かしら事務仕事が残っているのだろう。果穂と来栖、かろんが腰を上げて医療室を出る扉へと向かう。仕事が終わればミーティングルームで一休み。楽しいお茶の時間だ。頼香達が何か仕事をしている間にお茶とお菓子を準備しておけば、頼香達と一緒にお茶会が出来るという算段だ。

 ふと、コンソールの前で立ち止まるかろん。画面を覗き込んで何やら考えている様子だ。

(このデータ……どこかで……)

 記憶領域に完全にアクセスできないためなのか、それとも何か引っかかる所があるのか、それはわからない。そんなかろんに気付いたのか、来栖がドアの所でふり返りながら声をかける。

「かろんちゃん、どうしたの? 行こうよ」
「あ、すいません。今行きます」
「今日のお菓子は果穂ちゃんが買ってきたんだよ」

 ドアへと来栖を追うように駆け寄る かろん。今日のお菓子が何なのか楽しそうな来栖の様子に、かろんもつられて楽しくなってくるようだった。そんな様子を見る限り、普通の女の子と何ら変わるところはない。

「頼香さん、ボクもお手伝いしてきますので、先に失礼します」

 今日はかろんにとって、頼香に色々と助けて貰った一日。戦闘用セルカバリィとして反射的に頼香をかばった事よりも、自分自身の意識でお茶を入れて頼香に差し出す方が、かろん自身の気持ちを表す事になるのではないのだろうか。そう思いながら、かろんは来栖の後を追うために医療室を駆け出していった。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 頼香は、果穂、来栖、かろんの三人が出ていったドアが閉まるのを見届けてから、コンソールの上に立つからめるに向き直る。心なしか表情も真面目になっており、ライカ・フレイクス少尉としての顔と言ってもいいだろう。

「で? 何がわかったんだ?」

 コンソールの上のからめるを促す頼香。

「からめるしゃんから言うでちゅ」
「これだ」

 からめるがコンソールを軽く踏むと、先程のデータに別な画面が重ねて表示される。データにざっと目を通す頼香。驚きと納得の混じったような表情になる。

「そう言う事か……」
「少なくとも備えは必要という事でちゅね」
「まだ確定した訳じゃなく、あくまで可能性だ。だが、もけの言う通り備えておいた方がいいな」
「そのためには、かろんと一緒にいる事が重要な訳だな」
「監視は頼香ちゃん達に任せるでちゅよ」
「ああ、わかってる」

 かろんを『監視する』という事に対してはあまり乗り気ではないのだが、任務というならば仕方がない。それとは別に地球の習慣に慣れないかろんを見守っていたいという気持ちがある。どのみち、かろんと一緒にいるのは頼香の希望でもあるのだ。

 そして、画面のデータから類推される事柄。頼香達を狙った相手が誰であるのか、まだ確定ではないのだが、十分に考えられる事ではあった。狙いが頼香なのか かろんなのかもはっきりはしないのだが、かろんを護衛しつつ対処する事になるのは間違いないだろう。

「もう一人のセルカバリィか……」

 頼香はそうつぶやくと、もけとからめるが黙ってうなずく。モニターの表示を切ると、気持ちを切り換えるかのように頭を軽く振って、かろん達の待つミーティングルームへと向かうのであった。




<あとがき>


 長らくお待たせしました。らいか大作戦SL2、第2話をお届けします。今回からかろんちゃんの学校生活が始まります。当然お約束はこなさなければならない訳で♪ とりあえずは着替えでしたが、これからも色々と果穂ちゃんが手ぐすね引いて待っている事でしょう。それにこれからの学校生活の中にもなにやら事件が起きそうです。
 今回もMONDOさんにイラストを頂いております。3月の名古屋オフで描いていただきました。これもある意味お約束のシーンですね♪


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