戻る


「…と言う注文なんだけど」
「それは面白そうですね」
「できるだろうか?」
「ええ、実はこんなこともあろうかと、ここに試作品を用意してあります」
「本当かね!?」
「冗談です。本当は副司令から似たような研究を命じられていたんです」
「なんだ、そうなのか…」
「でも、『こんなこともあろうかと』って言うのは、科学者の浪漫ですから」
「…え?」
「うふふ、気にしないでください。それより、上手くいったら、私も使ってみたい相手がいますから、結果を教えてくださいね」
「それは構わないが、実験してないのかね?」
「まだしていません。ですが、計算上間違いはないはずです」
「よし…使い方を教えてくれ」
「簡単ですよ。これを相手の…」




Trans Space Nine ショートストーリー

Re・Born


作:さたびー
画:MONDO様





 お昼時のTS9、職員食堂。広い室内は多くの人々で賑わっていた。昼食を取りに来たシェリル少佐も、トレイを持って行列に並んでいた。
「特製カレー甘口、ひとつ」
「あいよ、カレー甘口一つ!」
 注文を頼むと、威勢の良い返事と共に、ほとんど間を置かずカレーが差し出される。礼を言ってそれを受け取り、さらにミニサラダとヨーグルトラッシーを軽食カウンターから取って行く。これが彼女の昼食の定番だ。
 昔なら一番辛口を大盛りで頼み、それをかきこむのが常だったが、今の彼女はこのメニューをゆっくり味わうことにしている。TS9のカレーはがつがつと食べるにはもったいない美味しさだからだ。
「さてと…」
 空いている席を探してシェリルが辺りを見回すと、テーブルの一角から声が上がった。
「艦長、こっちこっち」
 ワールウィンドの乗員たちが手招きをしていた。席を確保してくれていたらしい。シェリルはそこに座った。
「ありがとう。みんなもこれから食事か?」
「ええ。いただきましょうか」
 そう言う航海長に頷き、シェリルはカレーをすくい、口に運ぼうとした。その間、左手で前髪を払っている。油断するとカレーに入りそうなのだ。
「艦長、お行儀が悪いですよ」
 機関長の注意に、シェリルは顔をしかめた。
「うむ…そうは言っても、まだこの長さに慣れていなくてな。思い切って切るか?」
 シェリルがそう言った次の瞬間、全員が叫んだ。
『それはダメです! 艦長!!』
 その勢いに、驚いたシェリルはカレーをのどに詰まらせそうになった。
「わっ! な、なんだ?」
 シェリルがとりあえずヨーグルトラッシーでのどの通りを良くして聞くと、砲術長はドン、とテーブルを叩いた。
「いけません、いけませんぞ艦長! そんな綺麗な髪を切るなんてもったいない!!」
 砲術長のやけに力の入った説得。彼だけではなく、シェリルの周囲の人々は、ほとんどが同じ事を言っている。おかげでなんとなく床屋には行きにくい。
「そうは言っても、こう髪の毛が長いと、洗うのは手間だし、寝癖直したりするのも大変なんだぞ?」
 シェリルが言うと、通信士がポケットをごそごそと探り、何かの包みを取り出すと、シェリルに差し出した。
「これで髪を抑えてみたらどうでしょうか、艦長」
「え? なんだこれは?」
 シェリルは首を傾げつつ、包みを開けてみた。そこに入っていたのは、ピンク色のリボンだった。
「…お前たち、私にこんなものを付けろと言うのか?」
 シェリルは一同を睨み付けた。その火の出るような眼光に、一瞬恐怖を感じる乗員たち。しかし、怯んではいられない。
「工夫すれば、子供っぽくは見えませんよ。例えばポニーテールにするとか」
「馬鹿言うな。ポニーテールと言えばフレイクス少尉だろう。彼女はどう見ても子供だぞ?」
 何気なく失礼な発言をするシェリル。
「じゃあ、ツインテールとか…」
「なお悪いわ!」
 シェリルと乗員たちが言い争っていると、そこに声をかけてくる人物がいた。
「あら、先輩、おはようございます」
 れも副司令だった。手にはお子様ランチを乗せたトレイを持っている。
「やぁ、れも君もこれから食事か」
 シェリルは挨拶を返し、一同は席を詰めてれもが座るスペースを開けた。れもは挨拶に応えると、シェリルの手にしたピンクのリボンに目を留めた。
「先輩、それは?」
「あぁ、それは艦長が、髪が邪魔だと仰るので、それで結んではどうかと提案していたところですよ」
 通信士がニヤリと笑うと、れも副司令は微笑んだ。
「それはステキですね。きっと似合いますよ、先輩」
「君までそういうことを言うか…」
 シェリルは呆れたように言ったが、れもは構わずリボンを取ると、シェリルの前髪を掻き分けた。
「こら、くすぐったいじゃないか」
「ちょっと我慢してください」
 れもはシェリルの抗議に構わず、強引にリボンをカチューシャ風に結んでしまった。そして、懐からコンパクトを取り出すと、シェリルに見せる。
「ほら、お似合いですよ」
「おお、良いじゃないですか」
「可愛いですよ、艦長」
 れもとが口々に誉める。さすがに女性のれもが結んでくれただけあって、変じゃないどころか、むしろよく似合っていた。
「バカ、からかうな…まぁ、思ったほど変じゃないが…」
 シェリルは口ではそう言ったが、自分でも良いなと思ってしまったのは不覚だった。照れくさくなったシェリルはその気持ちをごまかすように、カレーを口に運んだ。
「…お」
 リボンの効果は抜群だった。前髪が顔にかかることが無くなり、安心して食事ができる。その機能には素直に満足したシェリルは礼を言った。
「これは良いものだな。ありがとう、れも君」
 微笑むシェリルを、れもと一行は腹に一物ありそうな笑顔で見つめていた。
 リボンが気に入ったシェリルは、午後もそのままリボンを身につけて仕事をした。定時になり、自室に帰ってから、改めて鏡を見てみる。
「うん…ここをこうして結ぶのか。なるほど」
 シェリルは自分でリボンが結べるように練習し始めた。もともとそれほど難しい結び方ではないから、すぐに手順は覚えられた。しかし、シェリルは鏡をもう一度まじまじと見て、首を傾げた。
「う〜ん…なんか、れも君にやってもらった時とはちょっと違うな…」
 一度リボンを解き、もう一度結び直す。角度を変えたり、結び目の位置を変えたり、試行錯誤の末、彼女は気に入った結び方を見つけた。
「うん、これで良し…っと」
 満足したシェリルは、鏡の中の自分に微笑みかけた。

 そして翌日。この日はU.S.S.ワールウィンドの補給と修理が完了し、二日ほどテストを兼ねた近海哨戒に出る日だった。
 艦橋ではネルソン副長の他、各スタッフが集合し、出港前のチェックに余念が無かった。その作業が一段落ついたとき、艦橋のドアが開き、朗らかな声が室内に響き渡った。
「おはよう、みんな」
 シェリルだった。機嫌が良いのか、珍しく笑顔を浮かべている。
「おはようございます! 艦長!!」
 スタッフがその場で直立不動の姿勢をとり、敬礼する。
「あ、私のことは良いから、作業を続けて」
 シェリルが答礼を返しながら言う。この時、ネルソンは何か違和感を覚えて首を傾げた。
(あれ? 艦長の様子が、何かおかしいような…?)
 笑顔を浮かべていることもそうだが、妙に口調が柔らかいような気がする。その疑惑は、ネルソンがチェックリストをシェリルに手渡した時に、確信に変わった。
「うん…よし、問題なし! 出港可能状態と認めます。 総員、出港準備にかかって!」
 シェリルの言葉に、ネルソンは唖然となった。普段の彼女なら、同じ台詞をこう言う筈だからだ。
「うむ、問題なし。出港可能状態と認める。総員、出港準備にかかれ!!」
 それが、あの可愛らしい口調である。呆然としている彼に、シェリルは不思議そうに小首を傾げて尋ねた。
「…副長、どうしたの?」
 この言葉と仕草は、完全に逆効果だった。凝固したネルソンの手から書類バインダーがバサリ、と音を立てて落ちる。まさに呆然自失の態だ。
「こら、副長、しっかりしろよ。どうしたんだ!?」
 機関長が歩み寄り、ネルソンの肩をどやしつける。我に返った彼が、慌ててバインダーを拾い、作業を再開した。シェリルは機関長に心配そうに言った。
「機関長、副長はどうしたのかしら? なんだか具合が悪そうだけど…」
「疲れてるのかもしれませんね。あとで艦医に栄養剤でも打ってもらいましょう」
 機関長が恭しく頭を下げる。が、内心は飛び上がらんばかりに驚き、かつ喜んでいた。
(素晴らしい…あの艦長がこんなに可愛い言動を取るなんて。あの娘に相談してよかった…)
 そんな思いを抱きながら、一同は艦長席に腰掛けるシェリルを見た。

 一時間後、ワールウィンドはTS9を離れ、ゆっくりと宇宙空間を進んでいた。シェリルは普段のように無防備に足を組んだりせず、しっかり膝を揃え、更に手でスカートの裾を抑える完全防備で艦長席に腰掛けている。
 そのため、角度的に彼女の秘密を覗き見る事ができていた操舵手や通信士は(しまった、特典が無くなった!!)と血涙を流しまくっていたが、そんなのは瑣末な出来事だった。
 やがて、管制圏を離れて完全に外海に出てしまうと、シェリルは艦長席から立ち上がった。
「私は艦内巡検に出ます。副長、後はよろしく」
「は、はい。承知しました」
 敬礼するネルソンに応え、シェリルは艦橋を出て行った。次の瞬間、ネルソンは周囲に視線を向けた。
「おい、みんなどうして平気なんだ!?」
 ネルソンの言葉に、機関長がわざとらしく首を傾げて見せた。
「平気って、何が?」
 すっとぼけたような口調で言う機関長に、ネルソンは目を吊り上げて詰め寄った。
「何がって…艦長の様子だ! 絶対におかしいぞ!」
 ネルソンの言葉に、今度は航海長が目を吊り上げた。
「副長、艦長を侮辱するのか? 上官侮辱罪で営倉行きになるぞ」
「航海長まで。俺よりも艦長を艦医に見てもらった方が良いんじゃないか!?」
 あくまでもシェリルの様子がおかしくなったことを訴えるネルソンに、あちこちでひそひそと声が上がる。
「かわいそうに、疲れてるんだなぁ」
「最近忙しかったからな」
「休んだ方が良いよな」
 それを聞いていたネルソンは、艦長席のヘッドレストをガンと叩いた。その音に、艦橋内のささやき声が静まり返る。そこで、ネルソンは話を始めた。
「だって、そうだろう? 艦長があんなかわいいしゃべり方をするなんて…」
 一同は顔を見合わせた。
「何か不都合でも?」
 航海長がツッコんだ。
「え? い、いや…その…」
 ネルソンは言葉に詰まった。確かに不都合は無い。言動が女性らしくなってはいるものの、指揮能力などには何の変化も見られないからだ。
「良いじゃないか、艦長もようやく新しい自分を見つめなおしてみる気になったようだし」
 機関長がそう結論した。ネルソンにはその主張を論破することができなかった。真偽はどうあれ、シェリルが女性らしくしているのは間違いないからだ。言葉遣いや立ち居振舞いだけでなく、身だしなみにしても、リボンまで付けたりしている。
(…リボン?)
 ネルソンはその事を疑問に思った。艦長はあのリボンをどこで手に入れたのだろう?

 艦橋でネルソン大尉が孤立していた頃、シェリルは艦内巡検を続けていた。すれ違う乗員たちに気さくに挨拶し、後部の格納庫に入る。ちょっとした体育館ほどの広さがあるそこは、海兵隊の訓練室としても使われていた。
「あ、艦長!」
 海兵隊長がシェリルの来訪に気付き、訓練を一時中止させ、隊員を整列させた。
「あ、私に構わず訓練を続けて」
 シェリルは言ったが、隊長が隊員を整列させたのは、シェリルに遠慮してのことではなかった。
「艦長、今日も剣の訓練をお願いします」
 隊長が言った。総合的に見れば彼の方がシェリルよりは強いはずだが、事が剣に関しては、惑星連合広しと言えども、シェリルの右に出るものはほとんどいない。剣技の訓練でシェリルに教官役を頼むのは自然な流れだった。
「え? でも、今日はちょっと…」
 シェリルが珍しく尻込みした。普段なら喜んで稽古をつけてくれるだけに、隊長もその他の隊員たちも、不思議そうな表情になる。
「失礼ですが艦長、身体の具合でも悪いんですか?」
「そ、そんな事は無いけど…」
 隊長の質問に、シェリルは首をふるふると横に振った。
「ならお願いしますよ。艦長に稽古をつけてもらえるのを、全員楽しみにしてるんですから」
 隊長はそう言うと、シェリルを強引に訓練用スクウェアに入れた。仕方なくフェイザーブレードを抜くシェリル。それを見て、隊長が声をかけた。
「よし、伍長、お前がまず行け」
「は、はい」
 指名された伍長がフェイザーブレードを準備してシェリルと対面する。審判役は隊長が務めることになり、隊員たちはずらりとスクウェアの横に並んだ。どう言うわけか、シェリルの背後に多くの人数が集まっている。
「始め!」
 隊長が声をかけると、シェリルと伍長はお互いの隙を探して、じりじりと動き始めた。
(今日は変わった構えだな)
 隊長はシェリルを見て思った。普段の彼女はブレードの発振機を両手で持ち、剣道で言う青眼に近い構えを取る。
 それが、今日は右手でブレードを持ち、左手は何故かお尻を抑えるような姿勢を取っている。不思議な構えというよりは、どう見ても実用性の無い姿勢に見えるのだが…
(いや、しかし艦長のことだ。何かすごい技を伝授してくれるのかもしれん)
 隊長はそう思いなおし、ともかくシェリルと伍長の戦いに注目した。
 妙な構えだと思ったのは伍長も同じらしく、どうにも攻め手が見つからないでいた。いや、攻め手はいくらでもあるように見えるのだが、それすらシェリルの誘いかもしれない。
(ええい、いちかばちか!)
 どうせ叶うはずの無い相手なのだ。伍長は渾身の力をこめてシェリルに打ち込んだ。
「きゃんっ!?」
 可愛らしい悲鳴が上がり、シェリルが床に倒れた。彼女の手から弾き飛ばされたブレードが床を転がっていく。
『え?』
 伍長も、そしてギャラリー全員も、信じられないような表情で、床に倒れたシェリルを見た。彼女は「うん…」と小さなうめき声を上げて上半身を起こしたが、ある事に気付き、慌てて手を伸ばすとスカートの裾を掴んだ。そして、海兵隊一同を見渡した。その目には微かに涙が浮かんでいる。
「み…見た?」
 一同は慌ててぶんぶんと首を横に振った。そこで、ようやくさっきのシェリルの妙な構えが、スカートがめくれないようにしていたからだと悟る。
「ほ、本当に見てない?」
 隊長は身の潔白を証明すべく叫んだ。
「見ておりません! 艦長の白のレースのパンツなど絶対に見ておりませんとも!!」
「やっぱり見たんじゃない!!」
 シェリルの目に浮かんでいた涙が一気に水かさを増し、ぼろぼろと頬を零れ落ちていく。その輝く水滴を見て、海兵隊員たちは激しく動揺した。
「か、艦長が泣いてる…!!」
「隊長、どうするんですか!?」
「お、俺が悪いのか!?」
 彼らが言い争っている間に、シェリルは立ち上がると、「もう知らない!」と叫んで格納庫から走り去っていった。後に残されたのは、ただひたすら呆然とするばかりの海兵隊一行。
「…どうなってんだ? あの艦長が…」
「あんな女の子らしい…」
「あ、あれはあれで萌えるけど」
 不埒な発言をした三人目はその場でフクロにされた。
「う〜む…いったい何があったんだ? と言うか、どうやって謝ったら良いんだ…」
 海兵隊長は深い悩みに沈んだ。

 巡検に出たはずのシェリルが艦長室に閉じこもったままだと聞いて、ネルソンは事情を聞きに艦長室まで出かけた。しかし、今は一人にしておいて、と言う拒絶の言葉を聞かされ、悄然とした様子で艦橋に戻ってきていた。
 現在艦は巡航状態にあり、艦橋にも当直の者さえいれば運行に支障は無いため、ネルソンは空席の一つを借りて考え事をしていた。
(う〜む、艦長はいったいどうしてしまわれたのだろう…女性の自覚が出てきたからだとか機関長は言ってたけど、だからってあんなに早く順応できるものだろうか…)
 シェリルの変貌はいかにも不自然だった。女性化してからもう一月近くになるが、一人称を「私」で通すようにしたことを除けば、その立ち居振舞いにはほとんど変化が無かった。それが一晩であそこまで変化したのは、どう考えてもおかしい。
 レーダー手がネルソンの所にやって来たのは、彼がひたすらシェリルの変貌の理由に付いて考え込んでいるその時だった。
「副長、ちょっとこれを見てもらえますか?」
「ん? 何だこれは」
 レーダー手が差し出したのは、レーダーによる観測記録のログだった。その一部に赤いペンでマークがしてある。
「このマークしてるところなんですが、おかしいんですよ。こんな電波は絶対に記録されないはずなんですが」
 ネルソンは姿勢を正してログを見た。絶対に観測されないはずの波長の電波…それが意味するところは…
「まさか、敵がこの近くにいるのか?」
「いえ、そういう事じゃないです」
 レーダー手はネルソンの懸念を否定した。
「この波長の電波は、すごく減衰しやすい…到達距離の短い電波で、レーダーやセンサーにはまず使わないタイプのものです」
「そうか。すると…艦内に発信源があるって事か?」
 ネルソンの推論にレーダー手は頷いた。
「そうなりますね。しかも、この電波は何かの信号らしく、規則性があります。どんな法則があるかまでは、まだ掴めていないんですが」
「確かに不気味だな…」
 ネルソンは一時的にシェリルの事を頭の隅に追いやって考えた。艦内に、訳のわからない信号を出す機械がある。今のところ異常は無いようだが、もしこれが無線で艦のコンピュータにウイルスを送り込むような装置だったら…
「こいつは拙いな。艦のコンピュータにフィルタリングの指示を出せ。この信号をシャットアウトするんだ。その上で、早急に発信源を突き止めてくれ」
「了解しました」
 ネルソンの指示に答え、レーダー手がコンソールに付く。ネルソン自身はコンピュータに自己診断プログラムを走らせ、異状の有無を調査する。
「…うむ、ウイルスなどの兆候は無いようだが、一応アンチウイルスとデフラグをかけておくか…?」
 ネルソンが呟いたとき、突然激しい衝撃がワールウィンドの艦体を揺るがした。
「何事だ!?」
 席から吹っ飛ばされそうになったネルソンが、それでも肘宛てをつかんで耐えながら叫ぶ。
「て、敵艦です! 反応から見て、『猫の耳』の中型戦闘艦! 隻数2!!」
 泡を食った調子で答えたレーダー手をネルソンは怒鳴りつけた。
「何だと? 奇襲を許すまで接近されて、なぜ気付かなかった!」
「申し訳ありません、ログの解析と発信源追跡に気を取られまして…」
 ネルソンは押し黙った。自分の指示したことを忠実にこなしていたレーダー手は責められない。敵襲があるかもしれない空域で、レーダーの機能を低下させるような指示を出した、自分の迂闊さを呪うばかりだ。
 かと言って、反省ばかりもしていられない。ネルソンは緊急電鈴のスイッチを入れ、同時に艦内放送のマイクを握った。
『緊急事態発生、総員戦闘態勢を取れ! 本艦は敵の奇襲攻撃を受けた!! 繰り返す!!』
 けたたましい非常ベルの音と共に、通路を乗員たちが駆け回る喧騒がひとしきり響き渡り、艦橋の要員も次々に持ち場に付いた。
「操舵手、自由回避行動を取れ。機関長、シールドへのエネルギー供給を途絶えさせるなよ。砲術長は光子魚雷で牽制攻撃をかけろ!」
 シェリルがまだ来ないため、ネルソンは変わって矢継ぎ早に指示を下した。この辺は彼も伊達に大尉にして副長をやっているわけではないと実感させる所だ。
「艦長はまだ来ないのか?」
 命令が実践されはじめたところで、ネルソンは艦橋入り口の外に立っている警衛係の軍曹に尋ねた。
「はい、まだいらっしゃいません」
 軍曹が答える。ネルソンはさすがに訝しく思った。あのシェリルがこの緊急時に持ち場に来ないなど有り得ない。ネルソンは航海長のほうを振り返った。
「航海長、私は艦長の様子を見てくる。代行として指揮を頼む」
「了解!」
 答えを背中に聞きながら、ネルソンは通路に飛び出した。回避行動のために艦が激しく揺れる中、通路を一気に駆け抜けたネルソンは艦長室のドアをノックした。
「艦長! 敵襲です!! 指揮をお執りください!!」
 そう呼びかけながら数回ドアを叩くと、ようやくシェリルが出てきた。
「艦長…」
 どうしたんですか、と続けようとして、ネルソンは絶句した。青ざめたシェリルの顔には、紛れも無い不安と恐怖の表情があった。
「ふ、副長…わたし…」
 震えるか細い声で言うシェリル。その身体も、恐怖に微かに震えている。今の彼女は、どうしようもなく男の保護欲をそそる、儚げな少女と化していた。
 思わずその身体を抱きしめたくなる衝動に駆られたネルソンだったが、その時、またしても被弾したらしく、艦が激しく動揺した。
『シールド強度低下!』
 腕につけたコミュニケーターから、機関長の叫びが聞こえる。ネルソンは心を鬼にしてシェリルに言った。
「艦長、指揮をお願いします」
 その有無を言わせぬ口調に、シェリルはまだ青い顔ながらも、健気に頷いた。二人が艦橋に戻ったときには、状況はさらに悪化していた。
「シールドがまずい…このままだと破れるぞ」
 機関長が言った。敵艦に取り付いての攻撃を得意とする強襲艦であるワールウィンドのシールドは、ほとんど戦艦並みの強度を持つ。しかし、二対一で一方的な砲火を浴びては、さすがに持ちこたえきれない。
「艦長、ご指示を」
 艦長席に腰掛けたシェリルにネルソンは言った。彼女はほんの一瞬考え、命令を下した。
「シールドを艦後方へ集中…全力で離脱します」
 普段なら積極果敢な逆襲に転じる指揮を好むシェリルだったが、さすがに状況が良くないのか、撤退を決断した。操舵手と機関長がコンソールを叩きながら答える。
「「了解!」」
 ワールウィンドの艦体が急旋回し、敵に背を向ける。同時に、弱体化したシールドが艦の後方に集中して展開され、ワールウィンドは猛然と加速した。
「敵艦、後方に脱落します…」
 レーダー手が報告した。どうやら危地を脱したと思ったその瞬間、敵の最後の一撃がシールドを貫通し、ワールウィンドの艦体を直撃した。幸い、装甲板を貫通するような威力ではなく、大きなダメージを受けることは無かったが、それまでで最大級の激震が艦を襲った。
「うわあぁ!!」
「きゃあっ!」
 悲鳴が湧き、艦のあちこちで物の壊れる音が響き渡る。ネルソンも床に投げ出され、したたかに背中を打った。
「ぐっ…痛たたたた…艦長!?」
 身体を起こした彼のすぐ前に、シェリルの身体が倒れていた。どうやら彼女も席から放り出されたらしく、気を失っていた。
「いかん、衛生、衛生! 至急艦橋へきてくれ!!」

 3時間後、完全に敵の包囲網を脱出したワールウィンドは、TS9への航路を辿っていた。航海予定はまだ一日残っていたが、負傷者の数や艦の損傷具合などから、任務の続行は不可能とネルソンが判断したためである。
 本来その判断を下すべきはずの艦長――シェリルは最後の攻撃で脳震盪を起こし、今も艦長室で眠っている。艦医は深刻なケガは無いと言っていたが、様子がおかしかっただけに心配だった。
(やはり、艦長の様子はおかしすぎる。戦闘の時の艦長は…まるで戦い慣れしてない、普通の女の子みたいだった…あれは女性らしい態度を演じようと言うのとは絶対に違う)
 ネルソンがシェリルの様子を思い返していると、再びレーダー手がやってきた。
「副長、例の怪電波の件ですが…」
「あぁ、済まないが、後にしてくれないか?」
 ネルソンはレーダー手の言葉を遮ろうとした。実際、今はそんなことを考えている場合ではない。しかし。
「いえ、聞いてください。発信源がわかったんです。艦長室です」
 艦長室、と言う単語に、ネルソンはがばっと顔をあげた。
「確かか?」
「はい。現在のところは間違いなく艦長室です」
 レーダー手は妙な答えを返した。ネルソンは首を傾げた。
「現在のところは?」
「はい。解析してみると、先ほどは艦橋が発信源でした。その前は艦長室です」
 レーダー手の言葉に、ネルソンは顔色を変えた。発信源が移動している…と言うより…
「まさか、発信源は艦長か?」
 レーダー手は深刻な表情で頷いた。
「はい。それだけじゃありません。信号を解析してみて、意味はわからなかったんですが、ライブラリからよく似た信号のデータを発見しました。一種の洗脳装置から出るパルスに酷似しています」
 それを聞いた瞬間、ネルソンは事態が深刻なことを悟った。
「艦長に…洗脳装置がつけられているのか。すると、様子がおかしかったのは…」
 何者の陰謀なのかは不明だが、早急に原因を取り除く必要がある。ネルソンは立ち上がり、艦長室へ急いだ。
「失礼します」
 一応ノックをして、ネルソンは艦長室に踏み込んだ。シェリルは壁際のベッドで安らかな寝息を立てている。
「洗脳装置か…むぅ、しまったぞ。勢いで来てしまったが、どんな物なのかわからん…」
 一度、工作長か誰かに頼んで検査用の機械を借りてくるか、と思った時、シェリルが「ううん…」と悩ましげな声を上げて身じろぎし、目を覚ました。
「…あれ、副長…?」
「お気づきになりましたか」
 シェリルが目を覚ましたことで、ネルソンはほっとした。しかし、その安堵の気持ちも一瞬しか持たなかった。
「ううん…わたし、どうしたんだっけ…?」
 そう言いながらシェリルが上半身を起こし、かけられていたシーツがはらりと落ちる。その下から現れたのは、一糸まとわぬあられもない姿だった。診断と手当ての時、艦医が服を脱がしてしまっていたのだ。念のため説明するが、艦医のマレット・バロゥズ大尉は女性である。
「え?」
 固まったネルソンに、シェリルは不思議そうな目を向け、それから自分の今の格好に気が付いた。一瞬で顔が赤く染まり、両手でシーツをかき寄せつつ悲鳴をあげる。
「きゃあっ!?」
「す、すいません!! 今すぐ出ます!!」
 シェリルの悲鳴に、金縛りの解けたネルソンは慌てて背を向け、ふと気付いた。今のシェリルは全裸だ。確か、アクセサリーの類も使っていなかったはずだ。しかし、彼女は今洗脳装置を付けられている。服やアクセサリー以外で常時身に付けているもの、それは…
「…艦長、失礼!」
 ネルソンは再び振り返ると、シェリルが悲鳴をあげる間もなく、彼女が今身に付けている唯一のもの…
 ピンクのリボンを解いた。
「え…あ、ああっ…!? 頭が…頭が痛い!!」
 リボンを解かれた瞬間、シェリルはシーツがずり落ちるのにも構わず、頭を抑えた。
「か、艦長!?」
 崩れ落ちるシェリルの肢体をネルソンは床に倒れる寸前で受け止めた。その時には、シェリルは再び気絶していた。
「いかん、軍医を呼ばねば…しかし、やはりこのリボンが正解か?」
 ネルソンはリボンを見つめた。一見普通の布地に見えるが、よく目を凝らすと、表面に複雑な電子回路のような模様が縦横に走っている。
「間違いないな。しかし、いったい何者の仕業だ…」
 ネルソンが確信を得た時、ばたばたという複数の足音が聞こえ、扉が勢いよく開かれた。
「艦長、ご無事ですか!?」
 マレット艦医以下の乗員たちだった。シェリルの悲鳴を聞きつけ、駆けつけてきたものらしい。
「あ、いい所に来た。マレット先生、急いで艦長を…」
 ネルソンは言いかけて、乗員たちの様子がおかしい事に気付いた。何故か全員が憤怒の表情を浮かべている。やがて、先頭の一人が唸るように言った。
「見損ないましたよ、副長…! まさか、艦長の寝込みを襲うなんて…!!」
「はぁ?」
 ネルソンはきょとんとした。しかし、すぐに自分の状況を思い出す。気を失って、しかも全裸のシェリルを抱いている自分の姿を。
「ま、待て、誤解だ。話せばわかる…」
『問答無用!!』

 傍で行われている大騒ぎに、一度は気絶していたシェリルが目を覚ました。
「う…ここは…」
「艦長、目を覚ましましたか?」
 マレットが心配そうにシェリルの顔を覗き込んだ。
「ああ…私はどうしたんだろうな。なんだか記憶が曖昧だが…ところで、この騒ぎは何だ?」
 シェリルが横を見ると、そこでは第二回ネルソン大尉チンだボディだフックだ大会が華々しく開催されていた。
「こら、お前たち! 何をしている!!」
 シェリルは立ち上がって一喝した。すると、大会参加者たちはボロキレと化したネルソン大尉を投げ捨ててシェリルに向き直った。
「はっ! 艦長を襲った副長に鉄拳制裁を…」
 代表して事情を説明しようとした一人の言葉が、急速に尻すぼみになっていく。シェリルは彼らをじろりとにらんだ。
「副長が私を襲った? 何を阿呆な事を言っている。この男に限ってそんな事をするはずがなかろう」
 ボロキレ状態のネルソン大尉が微かに動いた。
「か、艦長…信じて頂けるんですね」
 虫の息ながらも、喜びの滲んだ声で言うネルソン。その表情が、喜びから一転して驚愕に変わったかと思うと、その鼻から盛大に血が噴出した。
「うわっ!? ふ、副長、しっかりしろ!!」
 その光景に、さすがのシェリルも狼狽した。そこへ、乗員の一人が恐る恐る話し掛ける。
「あの、艦長…服を着たほうが…でないと、副長は何時までたっても流血のままです」
「ん?」
 シェリルはそこで、始めて自分が裸身にシーツを軽く巻いたままの大変セクシーな格好である事に気がついた。
「う、うわっ! なんで私はこんな格好なんだ!! お前たち、早く出て行け!!」
「は、はいっ!!」
 真っ赤になったシェリルに怒鳴りつけられ、乗員たちはネルソンを引っ張って部屋を出て行った。息を整えつつ、シェリルはハンガーにかけられていた制服に袖を通した。
「全く…なんなんだ…おや?」
 シェリルは何かが足りない事に気付いて辺りを見回したが、やがて、ネルソンの倒れていた辺りにそれを見つけた。よれよれになったピンクのリボン。しかし、それはもはや、ネルソンの鮮血に塗れ、もう使えない状態になっていた。
「ありゃぁ…」
 シェリルはそれを摘み上げてため息をついた。

 それから数日後、シェリルは入院しているネルソン大尉を病室に見舞った。
「副長、元気か?」
「あ、か、艦長!」
 寝ていたネルソンは慌てて身を起こして敬礼しようとしたが、シェリルはそれを制した。
「まぁ、無理をするな。それより、私が寝込んでいる間、ご苦労だったな」
 微笑むシェリル。彼女には、洗脳リボンをつけている間の記憶は、ほとんど残っておらず、マレット大尉の「艦長が出航直後に体調を崩して寝込んだため、副長が指揮を代行していた。艦長を襲った云々の話は誤解」という説明を信じていた。
「いえ、仕事ですから。それより、艦長が元に戻ってよかった」
 ネルソンも笑った。もちろん、彼は「洗脳が解けた」という意味で言ったのだが、シェリルにはわからなかった。しかし、シェリルの頭を見たネルソンは、髪を留めているピンクの物体を見て、驚愕の表情になった。
「か、艦長、それ…!?」
 それを指差すネルソンに、シェリルは「ん?」と首を傾げたが、すぐに気付いて、それを外した。ピンク色をした、幅の広い、プラスチックのアーチ状の髪留め…カチューシャだ。
「リボンだと着け外しが面倒くさいんでね、こっちにしたんだ。 …変か?」
 ネルソンは慌てて首を振って言った。
「とんでもない! 良くお似合いです!!」
「そうか、ありがとう」
 シェリルは笑った。その笑顔を見て、ネルソンはあの儚げなシェリルも良いが、やはり素の彼女が一番魅力的だな、と思い、ますますシェリルへの忠誠を硬く誓うのだった。

―終―



おまけ
「うーむ、途中までは良いと思ったんだが…」
「やはり、あの娘に頼んだのが間違いだったかな。洗脳の設定年齢が低すぎたようだぞ」
「確かに」
「でも、艦長にも少しは恥じらいと言うものが出てきたようだぞ」
「シーツ一枚の格好を見られて、焦っていたそうだからな」
「成果は皆無ではなかったと言う事か」
「では、引き続き“艦長を可愛くしようプロジェクト”を推進する。今日はご苦労だった」
「お疲れ様」

おまけのおまけ
「ふふふ…先輩があんなに可愛くなるなんて、これは予想以上の効果があるようですね」
「作った私も想定外でした」
「ですが、これで私たちの願いも叶いそうですね」
「はい、私は頼香さんに」
「私は司令代理に」
「可愛くなった彼女たちを見るのが楽しみですね」
「そうね。うふふふふ…」

―ホントに終―



あとがき

 シェリル少佐第四段です。今回は、彼女を思うがままにしようと暗躍する謎の影…正体はバレバレっぽいですが(笑)…の陰謀を追ってみました。
 この話ができたのは、なんと言ってもMONDOさんから戴いたシェリルのイラストのおかげです。イラストにピンクのカチューシャが描かれていなければ、この話は生まれなかったことでしょう。
 また、洗脳リボンに関しては、もぐたんさんのエヴァンゲンドウ第2話に多大なヒントを戴きました。ここにMONDOさんともぐたんさんに厚くお礼を申し上げて挨拶に代えさせて戴きます。ありがとうございました。


戻る