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 常夜灯の仄白い光だけが照らす部屋の中で、惑星連合軍少佐シェリル・アリシア・ターヴィは安らかな寝息を立てていた。
「くー…」
 制服と白兵戦技で完全武装された彼女も、寝ている時は無防備そのものである。寝巻がTシャツとショーツだけと言う格好も、危うさを助長している。こんな格好で寝ているのは、これなら非常時に制服を上から着るだけで着替えが済む…と言う、「常在戦場」をモットーとするシェリルならではの理由がある。
「ん…」
 彼女が寝返りを打った時、枕元のヴィジホーン(TV電話)がピピピ、と言う着信音を奏でた。
「…ん?」
 半分寝ぼけつつも、シェリルは身を起こして、ヴィジホーンの通話ボタンを押した。
「…はい、ターヴィです」
 シェリルが名乗ると、画面の向こうに、何か唖然とした表情の少女が映っていた。
「…なんだ、ソフィーか」
 シェリルは呟いた。ソフィア・アリスン・ターヴィ。シェリルの妹で、もうすぐ大学進学を控える身である。
「何か用か? 私は夜勤明けで眠いんだが」
 シェリルが少し不機嫌そうに言うと、それ以上に不機嫌そうな声が、電話の向こうから聞こえてきた。
「誰よ、アンタ」
「あ?」
 妹に誰呼ばわりされて、シェリルも機嫌を損ねた。しかし、ソフィアの怒りはそれ以上だった。
「何で、アンタみたいな女がお兄ちゃんの部屋にいるの!? お兄ちゃんはどこよっ!?」
「だからお前…」
 シェリルは注意しようとして、ふと気が付いた。
「あ、そう言えば私は今女だったな…。ついでに家族に何も言ってない」
 これは困った、と考え込むシェリル。画面の向こうでは、ソフィアが叫びつづけていた。
「ちょっと、無視するんじゃないわよ! お兄ちゃん出しなさいよ! どうやってお兄ちゃんをたぶらかしたのっ!? 胸かっ!? その胸が悪いんかああああぁぁぁぁぁっっ!?」
 やかましいので、シェリルは電話を切った。




Trans Space Nine ショートストーリー

家族の肖像


作:さたびー





 惑星プロシア。惑星連合の盟主、テランの殖民惑星として長い歴史を持つ土地である。この星の最大の特徴は、惑星連合軍の教育機関が多数集中していることだ。通称を「アカデミー」と呼ぶ士官学校の分校の他、海兵、航空、機関などの分科学校が存在し、その学生や職員が人口のかなりの部分を占めている。
 シェリルが自分の故郷でもあるプロシアの宇宙港に降り立ったのは、あの夜中の電話から3日後の事だった。
「この星も変わってないなぁ」
 古い殖民星にありがちな、盟主テランでは失われた古き良き時代を思わせる落ち着いた町並みに、シェリルは故郷へ帰ってきた、と言う思いを改めて感じた。
 一度はタクシーに乗ろうかと思ったシェリルであったが、思い直して家まで歩いて行く事にした。さほどの距離ではなかったし、家族に会う前に気持ちを整理しておきたい、という考えもあった。

 3日前、ソフィアからの電話を一度切って考えたシェリルは、家族に自分の事をしっかり説明しておかなければならないと思い、まずは今までの経緯を簡単にまとめたメールを家に送った。そして待つ事3時間。今度は父親のサイラスが電話を掛けてきた。その内容は簡潔なものだった。ただ一言、「一度帰って来い」。
 幸い、ワールウィンドの次の定期哨戒任務は10日以上先だった。シェリルはネルソン大尉に艦長代行を命じ、休暇を取ってテラン経由でプロシアに向かった。慌しい帰郷だけに、家族に会ったらなんと言うべきなのか、彼女自身まだまとめきれていないところがあった。
 何しろ、彼女の生家、ターヴィ家はテラン人としては希少な「戦士の一族」としての血統を誇る家である。代々の当主が惑星連合の軍人である事は以前述べたが、その遥か以前…テランの社会がまだ国王と騎士の主従関係からなる中世封建制度だった時代、その頃から既にターヴィ家は騎士の家系として存在した。
 そして、時代の変遷と共に、一族はその忠誠の対象を国王や領主から市民国家、統一テラン、さらには惑星連合へと変え、強固な伝統と戦士の義務感によってその名を知られてきたのである。戦闘種族ではないテラン人の中で、異色とも言える歴史を持つ一族であった。
 それだけに、父親も時代錯誤と思えるほどに厳格な面がある。娘になって帰ってきた長子にどんな態度を取るのか、さっぱり予測がつかなかった。
(まぁいい。軍人は臨機応変だ)
「敵の出方が予測できない時は突撃せよ」と言う家訓を思い出し、シェリルは思い出の街を進んだ。そして、一軒の家の前で立ち止まった。広いながらも質素な家には実用一点張り、と言う質実剛健の思想が垣間見える。惑星連合海兵学校長、サイラス・アルカディウス・ターヴィ予備役中将邸宅…シェリルの実家だった。
「お嬢さん、何か御用ですかな」
 庭で掃除をしていた執事のバスティアンが声をかけてきた。現役時代はサイラスの従卒を務めていたという彼は、先祖代々ターヴィ家に仕える一族の出である。
「久しぶり、バスティアン。この姿だとわからないかな?」
 シェリルの言葉に、バスティアンはほんの僅かな間戸惑い、次の瞬間、驚きに目を見開いた。
「ま、まさか…シェファード様!? 話は本当だったのですか!!」
 自分が女の姿である事は、しっかりバスティアンにも伝わっていたらしい。シェリルは微笑むと彼に尋ねた。
「ああ、今はシェリルと名乗ってるけどね。父さんたちはいるかな?」
「もちろん、お帰りをお待ちですぞ。さぁ、こちらへ」
 バスティアンはそう言うと、シェリルを案内しながら、彼女の荷物を持とうとした。
「良いよバスティアン。自分の家だし、大した重さじゃない」
 シェリルはそう言って断ろうとしたのだが、バスティアンは「仕事ですから」と聞かない。仕方なく、シェリルはバスティアンのやりたいようにさせた。
(私はそんなにひ弱に見えるのだろうか?)
 ちょっと落ち込みつつ、バスティアンの後に続くシェリル。前庭を抜けて玄関に入り、居間の前に来たところで、バスティアンが声を張り上げた。
「シェリルお嬢様がお帰りになりました」
(ちょっと待て。いきなりお嬢様扱いか。お前も適応早すぎだぞ、バスティアン)
 TS9に帰れば、もはや完全に女性扱いされている現状を思い出し、シェリルが心の中でツッコんだ時、一瞬間を置いて、重々しい声が扉の向こうから聞こえてきた。
「入れ」
 久々に聞く父の声に緊張しつつ、バスティアンの開けてくれたドアをくぐって、シェリルは居間の中に入った。途端に、固体化したような視線の圧力が彼女を襲った。テーブルを囲んで、4人がソファに座って、入って来たシェリルを見つめている。
 右手には母親のステラがいる。良くおとぎ話に出てくるような、「優しいおばあさん」と言った雰囲気の漂う人だ。シェリルを興味深そうに見ている。その向かいには、妹のソフィア。一見してシェリルに良く似た…ただし身体的成熟度では及ばない…少女である。シェリルを敵意に満ちた視線で見つめている。隣には弟のシモン。母親似の優しげな青年で、今は軍の主計本部に勤務する少尉だ。何故か照れたような赤い顔をしている。
 そして、正面から向かってくる、圧倒的に迫力のある視線が、父親…サイラスのものだ。シェリルがもし地球の日本文化に親しんでいたら、たぶんサイラスの事を「古武士のような」と形容するだろう。屈強な軍人、と言う外見の人物ではないが、その内面に巌のような物を持っている人物だ。
 その視線を受けて動けないでいるシェリルに、サイラスが声をかけた。
「どうした? 座れ」
 その言葉で金縛りのとけたシェリルは、サイラスと向かい合う位置に腰掛けた。そこで、まずステラが口を開いた。
「シェファード…いえ、今はシェリルだったわね。もう一度、詳しく事情を聞かせてくれる?」
「はい、母さん。まずは…」
 シェリルはその時の事を詳しく話し始めた。全てを話し終えると、シモンが質問してきた。
「それで、元に戻れそうなのかい?」
「いや、それがどうも難しいらしい」
 シェリルは答えた。例の60倍カレーについては、詳しいレシピと現物を使って、ライル少佐と果穂が成分分析を初めとする調査を行った。しかし、原因成分の特定には至っていない。何十種類と言うスパイス…中にはミリグラム単位でしか使われないものもある…が鍋の中で煮込まれる時に起きる化学変化には想像を絶するほどの複雑なプロセスがあり、一朝一夕には解析できないのだと言う。
 また、原因がカレーだけでなく、シェリルの体質との組み合わせにある事も考えられるため、体組織のサンプルも二人には渡してある。しかし、肝心の男だった時のサンプルがないのでは完全な原因解析は不可能で、おまけに彼女の体組織を分析してわかったのは、男性→女性への変化が非常に急激だったため、遺伝子操作などの方法では、危険すぎて元に戻せない、と言うことだった。無理に元に戻せば、その場で死んでしまう可能性が高いらしい。
「…と言うわけだ」
 シェリルが説明すると、シモンは頭を掻きながら言った。
「そ、そうかぁ…わかった。気を落とさないでくれよ、兄さん…いや、姉さん」
 慰めているように見えるが、何故か顔は嬉しそうに笑っていた。何を考えているのかこいつは、とシェリルは弟の顔を不審そうに見た。すると、横で膨れた顔の妹の顔も同時に目に入る。
「ところで…何か言いたそうだな、ソフィー」
 シェリルが声をかけると、ソフィアはぷいっと横を向いた。
「何もないわ」
 困ったものだ、とシェリルは思った。たぶん、兄がいきなり姉になったのを受け入れられないのだろう。しかし、それが普通であって、部下たちやバスティアン、シモンの方が変なのだ。
「ともかく、そういう事で、女性として生きるしかないようなのです」
 シェリルがそう言うと、ステラは頷いた。
「そう…わかりました。母親としては納得は出来ないけど、あなたがそれで納得しているのなら、私からは何も言わないわ」
 シェリルは黙って頷いたが、少し胸の痛みを感じた。父親が厳しい代わりに、母はいつでも優しかった。その母に心配をかけたことは、シェリルの本意ではなかった。
 そして、その厳しい父親が何も言わない事に、シェリルは少し戸惑いを感じていた。そこで、思い切って尋ねてみた。
「父さん、何か聞きたい事は?」
 すると、それまでじっと家族の会話に耳を傾けていただけのサイラスが、初めて口を開いた。
「聞きたい事はない」
 重々しい口調でそう言うと、サイラスは立ち上がった。
「…が、来てもらいたい場所はある。ついて来い」
 そう言って、返事も聞かずに奥の扉に向かうサイラス。シェリルは慌てて後を追い、残った家族も顔を見合わせて、後に続いた。
 そして、廊下といくつかの部屋を抜けて、サイラスがやってきたのは、広大な部屋だった。柱は一本もなく、床にはマットが敷いてある。
「練武場?」
 シェリルがなぜこんな場所に、と戸惑っていると、サイラスは壁にかけてあった二本の剣を取り上げ、一本は自分が持ち、もう一本をシェリルに渡してきた。
「抜け」
「え?」
 父の行動に、シェリルの戸惑いは大きくなる一方だった。彼女の困惑をよそに、サイラスはすらりと剣を抜く。フェイザーも、オーラも、高速振動機能も付いていない、シンプルな鋼の刀身…刃を潰してあるので、斬る事も刺す事も出来ない代物ではあるが、殴られれば相当に痛い。
「!!」
 鋼のぶつかり合う音が響く。火花が散り、シェリルは痺れた腕を押さえて後ろに下がった。何の前触れもなく打ち込まれてきたサイラスの一撃を、とっさに防いだのだ。
「父さん!?」
 訳がわからないながらも、鞘を投げ捨てて剣を構えるシェリル。サイラスも正眼の構えを取って言った。
「剣士なれば、言葉で語る必要はない。剣で己の証を立てて見せろ」
 言うなり、サイラスは猛然とダッシュすると、嵐のような攻撃を仕掛けてきた。シェリルはそれを必死に防ぎ、一瞬の隙を突いて反撃に出る。攻守を入れ替えた激しい打ち合いが続き、父と娘は再び距離を取って息を整えた。

 ターヴィ家は戦士の一族であるが、その最大の特徴が、古の昔から剣の奥義を伝承してきたことにある。銃やビームと言った科学兵器が飛び交う戦場でも、ターヴィ家の戦士たちは剣を捨てず、むしろそれを時代に合わせて改良しつづけてきた。
 宇宙時代に入り、宇宙服が強化されて、ちょっとした銃弾やビームを浴びてもそう簡単に人が倒れなくなると、剣や斧を使った白兵戦の技が復活し、そうした戦場でターヴィ家が培ってきた技は、凄まじい威力を誇った。そして、その技はいつしか、宇宙最強の物理現象を取ってこう呼ばれるようになった。
「新星流剣術」と。
 シェリルはこの新星流剣術の次期伝承者である。彼女が若くしてフェイザーブレードの教官資格を持ち、白兵戦では惑星連合軍全軍を通じてもトップクラスの実力を持っているのは、幼い頃から修行を積んできたためだった。しかし、父サイラスは彼女を遥かに凌ぐ達人だ。現役時代、トマーク=タス同盟との戦争では、戦闘民族たる彼らの戦士たちを相手に、一歩も引かぬ戦い振りを示したと言う。
 その伝説の達人に、シェリルの技がどこまで通用するか…恐らく通用などしないだろう。だが、父は戦いで自分を証明しろと言った。ならば、逃げるわけにはいかない。
 シェリルは息を整え、精神を集中させると、一気に攻め込んだ。防御など考えていて倒せる相手ではない。自分の全てをぶつけるのみだ。しかし、フェイントは読まれ、連撃も全て弾かれてしまう。
(覚悟していたとは言え…私はこの程度なのか?)
 あまりの力量の差に、シェリルは暗い気持ちに囚われた。そして、その隙を逃すサイラスではなかった。「未熟者め、戦場で余計な事を考えるのは命取りだぞ!」
「しまっ…」
 叱責と共に、サイラスの猛攻撃が飛んでくる。防ぎきれず、シェリルは数箇所に打撲を負わされた。一撃で戦闘力を失うような事はないが、じわじわと体力を削り取られていく。一撃で気絶させられる方が楽なくらいの有様だった。
 それでも諦めずに立つシェリルは、再びバックステップで距離を取ると、剣を両手で持ち、頭上に高く掲げた。剣に全ての力を込めて振り下ろす一撃必殺の構えである。
「いい覚悟だ」
 サイラスは初めて微かに笑うと、同じ構えを取った。
「あなた、シェリル、それは!」
 その構えに秘められた危険性を知っているステラが、戦いを止めさせようとして叫ぶが、二人とも応じない。いや、周りの声は聞こえない、二人だけの世界に没入していた。
 そうして二人が構えを取ったまま、どれだけの時間が流れたのか、全員が凍りついたようにその場に立ち尽くしていたその時、練武場の外で、微かな気配が動いた。それがきっかけだったように、二人はほぼ同時に動いていた。
「!」
 しかし、技を発動してみて、シェリルは気が付いた。やはり、父の方が速い。このままだと、彼女の剣がサイラスを捉える前に、致命的な一撃を受けてしまうだろう。それを回避するには…
 シェリルは瞬時の間にそれを決断した。同じ技での勝負を避け、放ちかけた必殺の一撃を止める。父親が放った一撃をかわし、その隙に全力を叩き込む事を決意したのだ。瞬時に動きを止めたシェリルの身体を紙一重でかすめて、サイラスの剣の切っ先が落ちていく。シェリルは途中で止めた剣を持ち直し、無防備になった父親の上半身に、横殴りの一撃を撃ち込もうとした。
(…えっ!?)
 ところが、やはりサイラスのほうが上だった。落ちたはずの剣が翻り、物理法則を越えているとしか思えない動きでシェリルに向かってくる。彼女は敗北を覚悟した。
 その時、信じられない事が起こった。冷徹なはずのサイラスが、何かうろたえたような表情になり、剣も動きを止めてしまったのだ。何が起きたのか、興味はあったが、その絶好の機会は、見逃すにはあまりにも惜しかった。シェリルは迷わず剣を振りぬいた。

 ドガッ!!

 強烈な打撃音と共に、サイラスの剣が砕け散った。彼の身体は横っ飛びに数メートルも吹き飛ばされ、練武場の床に転がった。
「か…勝った?」
 シェリルは信じられないように自分の手を見た。会心の一撃が決まった時の、快い痺れがまだ指先に残っている。ステラ、ソフィア、シモンも、見てはいけないものを見たように硬直していた。
 そこへ、扉が開いて入って来た人物がいた。バスティアンだった。彼はシェリルを見ると、驚いた声をあげた。
「シェリルお嬢様、なんとまぁはしたない格好を」
「え?」
 バスティアンの言葉に、シェリルは自分の姿を見た。そして、自分がとんでもない格好をしている事に気がついた。
 さっきサイラスの一撃を紙一重でかわした時、剣は身体には当たっていなかったが、服にはしっかり当たっていたのだ。着ていた制服は首周りのスカーフの直下から綺麗に引き裂かれ、スカートも裂けて床に落ちている。ブラもフロント部分で真っ二つになり、胸が完全に露出していた。ほとんど裸と言っても過言ではない有様だ。
「う、うわ…」
 シェリルは赤面した。それは、サイラスだって思わず隙だらけになるはずである。そして、彼女が自分の現状を認識すると同時に、シモンが床に仰向けに倒れた。鼻から赤い噴水が天井に向けて噴き上がっている。
「し、シモン!?」
 ステラが叫んで次男に駆け寄り、ソフィアは何を思ったのか、練武場から走り去ってしまった。シェリルは仕方なくバスティアンの方を向いた。
「バスティアン、父さんを頼む」
 サイラスはシェリルの会心の一撃を受けた打撃からまだ立ち直っていないらしく、意識はあるものの、唸るだけでまだ身体を起こせないでいた。
「承知しました。お嬢様は?」
 バスティアンが頷きつつも聞いてきた。シェリルは床に落ちていたスカートの残骸を拾い上げ、腰に巻きつけつつ、胸を手で押さえた。
「私は着替えてくる。さすがにこの格好はちょっとな」
「わかりました。では」
 バスティアンが練武場に備え付けた救急セットでサイラスの手当てに掛かり、シモンもステラに介抱されていると言う修羅場状態の中、シェリルは自分の部屋に向かった。

 持ってきた予備の服に着替え、練武場に戻ってみると、そこにはサイラスとバスティアンだけが残っていた。もうダメージはないらしく、サイラスはしっかり床に座っていた。シェリルもその正面に腰を降ろした。
「父さん、さっきの勝負は無効です。後で改めてもう一度…」
 シェリルが再戦を申し込もうとすると、サイラスは首を横に振った。
「不要だ」
「…何故です?」
 シェリルは思わず聞き返した。すると、サイラスは先程までとは違う暖かい口調で話を始めた。
「剣をもって自分の証を立ててみろ、と言っただろう。言葉に出さずとも、お前の剣は、十分にお前自身という人間を語っていた。私にはそれで十分だ」
「父さん…ありがとう」
 シェリルは父親の顔を見つめた。同時に、何とも言えない暖かい気持ちが心の中に湧き上がってくる。
「礼など良い。親子なのだからな」
 サイラスはそう言うと立ち上がり、脇腹を押さえて顔をしかめた。どうやら、シェリルの一撃が当たったのはそこらしい。
「父さん、大丈夫?」
 シェリルが駆け寄ってそこを押さえると、サイラスは赤い顔になった。
「ふ、ふん…心配するな。お前の未熟な剣ごとき、何ほどの事もない」
 痛いのを我慢しているのが丸わかりな態度でサイラスは言った。
「それより、ソフィアの事をどうにかしてやれ。お前の事で一番心配しているのはあいつだからな」
「…わかった」
 シェリルはサイラスをバスティアンに任せ、ソフィアの部屋に向かった。

「ソフィー、私だ。いるか?」
 シェリルは妹の部屋のドアをノックした。しかし、返事がない。
「ソフィー、いるんだろう? 返事をしてくれ」
 もう一回ノックしながら呼びかけると、部屋の中から小さな声が聞こえた。
「…うるさいわね、放っておいてよ」
「なんだ、いるんじゃないか」
 シェリルは問答無用で部屋の扉を開けた。
「ちょっと、どうして入ってくるのよ!」
 ベッドの上で寝転がっていたソフィアが、上体をがばと起こして叫んだ。シェリルは妹の頬に涙の跡があるのに気付いたが、敢えてその事は言わない事にした。意地っ張りな性格なので、それを言うとまた依怙地になって話をしてくれなくなるだろう。
「いや、入らないと話が出来ないからな」
 シェリルはそう答えると、デスクの椅子を自分の方に持ってきて、そこに腰掛けた。さりげなく、ソフィアが部屋から逃走しないよう、ルート上に陣取るのがポイントである。
「わたしには話なんてない」
「お前になくても私にはある」
 妹の言葉を、シェリルはきっぱりと撥ね付けた。そのうえで、可能な限り優しい声で言う。
「ソフィア、お前が私の姿を見て戸惑う気持ちはわかる。誰だって、家族がまるで別人になって帰ってきたら、そうなるだろう。でも、私はこんな姿でも、お前の兄だと思っているし、お前を大事な妹だと思っている。どうか…拒絶しないでくれ」
 最後は哀願調になっていた。しかし、ソフィアは目を吊り上げて怒りの表情を露わにした。
「そんな事は問題じゃないわ」
「…なら、何が?」
 シェリルは困惑した。女の子というのは不可解で難しいものだな、と、自分も今は女性である事を棚に上げて思う。すると、ソフィアはベッドから立ち上がり、ズカズカと歩み寄ってくると、シェリルの身体の一部をびしっと指差した。
「それよ!」
 シェリルは妹の指先が差している所を見て、顔をあげた。
「…胸?」
「そうよ!」
 ソフィアはきっぱりと言った。
「どうして、どうしてお兄ちゃんの方が胸が大きいのよ!! 納得いかないわ!!」
「…あぁ、そうか」
 シェリルは納得した。そう言えば、最初に自分の事を妹には言えないな、と思ったのは、自分の胸の大きさが原因だった。その事をすっかり忘れていたのは、帰郷と言う事でちょっと心に余裕がなかったからだろう。
 しかし、ソフィアのほうはシェリルの「…あぁ、そうか」を馬鹿にされたと勘違いして、ますます怒りを募らせた。
「何よ、お兄ちゃんのばかぁっ! にわか女のくせに! 少しわたしに分けてよ!!」
 いきなり錯乱した台詞を口走ったソフィアは、シェリルの胸を鷲掴みにした。さすがのシェリルもこれには驚く。
「うわっ!? そ、ソフィー、やめろ!!」
「ああああっ、すっごい弾力…掴みきれない…どうしてこれがお兄ちゃんのなのっ!?」
 触り心地の良さに、思わずシェリルの胸を揉みしだくソフィア。シェリルにしてみればたまったものではない。
「や、やめ…ソフィー…はうんっ!?」
 シェリルの力なら、ソフィアをはねのけるくらいは簡単にできる事なのだが、さすがにこの状況下では力が出せず、脱出は無理だった。
「そ、ソフィア…お願いだからやめ…」
 涙目で妹を見上げるシェリル。その表情は、ソフィアの気持ちを変えるのに十分だった。
「あ、ご、ごめんなさい…」
 ようやく手を離すソフィア。シェリルは胸を両手で抱きかかえるようにしてガードしながら、ソフィアに言った。
「と、ともかく…これは体質だし…ソフィーだって、私みたいになるんじゃないか? まだ成長期だろう?」
 その言葉に、ソフィーはぱっと明るい表情になった。彼女とシェリルは良く似ている。ならば、シェリルの今の姿が、ソフィアの未来の姿であったとしても、おかしくはない。何しろ彼女はまだ18歳。成長期は後5年は続くのだ。
「そうだよね。わたしがんばるよ、お兄ちゃん」
「そ、そうか」
 シェリルは頷いた。何をがんばるのだろう、と思いながら。
(それにしても、フレイクス少尉たちといい、ソフィーといい、女の子というのはみんな胸の大きさにこだわるものなのだろうか…)
 シェリルは不思議なものだと思った。彼女自身は、男だった頃はあまり女性の胸の大きさにはこだわっていなかった。しかし、そういうことを言うと、またカドが立ちそうである。なんとか機嫌を直してくれたソフィアをもう一度怒らせるのもなんなので、シェリルは居間に戻ることにした。
「あ、お兄ちゃん」
「ん? なんだ?」
 部屋を出ようとするシェリルをソフィアが呼び止めた。振り返ると、ソフィアは笑顔で質問してきた。
「これからは、お兄ちゃんの事、お姉ちゃんって呼んだ方が良い?」
「ソフィーの好きな呼び方で良いぞ」
 シェリルは苦笑した。

 シェリルはそれから3日間、実家に滞在した。家族がシェリルの事を認めてくれた事で、家族の絆はやはり大事だと彼女は思った。もう男には戻れそうもない事を自分では割り切っていたつもりだが、やはり家族の事が心のどこかで引っかかってはいたらしい。
「そんなものは当たり前だ」
 娘の述懐にサイラスは答えた。
「海兵隊では、同じ海兵隊員はみんな同胞であり、新たな家族なのだと教えている…が、だからと言って本当の家族を忘れて良い訳ではない。お前も、たまには里帰りしろよ。ここがお前の故郷なのだからな」
 夕食時、珍しく酒を飲んだサイラスは上機嫌な表情でそんな事を語った。お酌をしてやりながら、シェリルは昔は何も語ってくれなかった父の言葉に何度も頷いた。
 そして、TS9に帰る日が来た。ステラ、シモン、ソフィアと別れを惜しんでいると、サイラスが何かの長い包みを持ってやって来た。
「シェリル、これを持って行け」
 そう言ってサイラスが差し出した包みを受け取り、シェリルは布を解いてみた。すると、そこから出てきたのは、見事な作りの一振りの刀だった。高速振動剣のようだが、工業製品らしくない、匠の技さえ感じさせる風格がある。
「父さん、これは…?」
 シェリルは聞きながらその刀を鞘から抜いてみた。優美なカーブを描く刀身には、見ていて魂を吸い込まれそうな美しささえ漂っている。明らかに業物だった。
「私がトマーク=タスの戦士と一騎打ちをして倒した時に、その戦士に貰ったものだ。今のお前なら、それを使いこなせるだろう」
 シェリルは驚いた。名誉を重んじるトマーク=タスの戦士が武器を預けると言う事が何を意味するか、彼女も知っていた。
「そんな…大事なものを貰って良いんですか?」
 シェリルの質問に、サイラスは力強く頷いた。
「かまわん。だが、それに恥じない戦いをしてくれ。良いな?」
「…はい!」
 シェリルはもう一度刀を抜き、目の前で垂直に立ててから、斜め右に振り下ろした。刃に賭けて誓いを立てる、と言う古い騎士の作法である。
「よろしい。がんばれよ、シェリル」
「達者でね」
「行ってらっしゃい、姉さん」
「お姉ちゃん、元気でね」
「またのお帰りをお待ちしておりますぞ、お嬢様」
 家族たちの激励の言葉を背に、シェリルは歩き出した。自分は変わってしまったけど、ここには変わらない故郷がある。自分が戦うのは、それを守るためだ。
 自分の原点に返ったシェリルは、足取りも軽く、宇宙港への道を辿っていった。

―終―



あとがき

 シェリル少佐の第6弾は、彼女の家族の話でした。TSものでは、家族との関係にまつわる混乱のお話がやはり欠かせない、と思っていまして、今回はそういうお話です。同時に、シェリル少佐の実家のヒミツについても設定してみました。
 ちなみに、今回シェリルが預かった刀は、「黄金週間の裏の人々」で出てきたもので、外見は某ガンダム種の「ガーベラ・ストレート」を想像していただければ、だいたい当たりです。



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