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「こんにちは。頼んでたあれは出来てるかね?」
「いらっしゃい。ええ、完璧ですよ」
「使い方は…インストールするだけで良いんだよな?」
「ええ、簡単なものですよ」
「ありがとう…よし、早速使わせてもらうよ」
「使った結果は教えてくださいね。今後の改良の参考にしますから」
「わかっているよ。じゃあ、これはお礼」
「うふふ…またのご利用をお待ちしてます」




Trans Space Nine ショートストーリー

40倍カレーの伝説


作:さたびー






 その日、シェリルは捌ききれなかった書類を自室に持ち込んでチェックしていた。時計は既に夜中の2時を指している。なかなか苦戦しているようだ。
「うーん…このBグレードの宇宙食にはカレーが入ってるから増やそう…」
 補給物資のリストに修正を入れていると、部屋の扉がノックされた。シェリルはマウスを手に取るとインターフォンのアイコンをクリックした。画面にネルソンの顔が現れる。
「ん? 副長か。どうしたんだ?」
 シェリルが聞くと、ネルソンは筆記用具を見せて。
『事務仕事が片付いてないと聞きましたので、何か手伝う事はないかと思いまして』
「ふむ」
 シェリルは辺りを見回した。書類の半分くらいはチェックして決裁者のサインを入れるだけのもので、それは副長の権限でも出来る仕事だ。
「よし、お言葉に甘えようか。今鍵を外すから待っていてくれ」
『わかりました。ところで艦長』
「ん?」
 扉を開けようと立ち上がりかけたシェリルは、ネルソンの声に振り返った。
「何か?」
 シェリルが聞くと、ネルソンは微かに赤い顔をして尋ねてきた。
『その…まさか何時かみたいに下着姿…と言う事は無いですよね?』
 シェリルは思わず苦笑した。
「安心しろ。ただの寝巻きだよ」
 そう言ってインターフォンを切ると、彼女は玄関の鍵を外し、ネルソンを迎え入れた。
「良く来たな。まぁ、助かるよ」
「ええ、ではがんば…」
 ネルソンの言葉が途中で途切れた。シェリルを見て口をあんぐり開けている。
「…副長…どうした?」
 シェリルが聞くと、ネルソンの顔に一気に血が上った。
「か、艦長、何て格好…」
 鼻の奥に金属臭を感じ、気を逸らすためにも必死に上を向くネルソン。彼が直視できなかったシェリルの格好はと言うと、薄手の生地で出来たネグリジェだった。机の上のディスプレイや常夜灯の放つ光が生地を透かし、シェリルの身体のラインをくっきりと浮き上がらせている。
「あ、これか? マレット大尉に貰ったんだが、これだと着替える時に脱ぐのが一枚だから、楽で良くってね」
 ひらひらの生地をつまんでみせるシェリル。ネルソンはポケットからティッシュを取り出すと、鼻の穴に詰めた。それをシェリルは不思議そうな目で見ていた。
「副長…最近良く鼻血が出るようだが、鼻の穴に腫瘍でも出来てるんじゃないだろうな? 一度医者に見てもらえよ」
「ふぁい…だいじょうぬでしゅ…」
 間抜けな声で答えると、ネルソンはシェリルに付いてデスクの方へ向かった。

「…と言うわけで、これからこれまでサインを代行してくれ。私はこっちをやるのでね」
「了解でしゅ」
 シェリルが分類した書類を受け取り、ネルソンは胸ポケットのペンを取り出した。決裁者の欄に自分の名前を書き込んでいく。
 その作業を続けながら、ネルソンはシェリルの方を時々ちらりと見た。何か難しい問題を見ているのか、時々「う〜ん」と唸っている。その困っている顔もまた美しい。
「副長、何か用か?」
 視線を感じたのか、シェリルが不審そうにネルソンの方を向いていた。
「い、いいえ、何も!」
 ごまかすように、ネルソンはシェリルのパソコンのディスプレイを見た。なにやら幾何学模様の壁紙が使われている。その模様、ネルソンはどこかで見覚えがあるような気がした。
「艦長、なんだか変わった壁紙を使ってらっしゃいますね」
 話題を変えるため、ネルソンがその事に触れると、シェリルが頷いた。
「ん? そう言えば、壁紙が変わってるな。私は無地にしてたはずなんだが…」
 不思議そうに言うシェリル。じっとそれを見ていたかと思うと、急に彼女は笑顔になり、ネルソンの方を向いた。
「それより副長、のどが渇かない? コーヒーくらいならあるけど…」
「いや、結構ですよ。艦長にコーヒーを淹れさせるなんて…」
 畏れおおい、と言いかけて、ネルソンはその微妙な違和感に気がついた。今のシェリルの口調、どこか変わっていたような…
「艦長!」
「な、なあに?」
 いきなり立ち上がったネルソンに、シェリルが目を白黒させて聞く。それでネルソンは自分の考えに確信を持った。
「今すぐパソコンの画面から目を逸らして!」
「う、うん」
 シェリルは椅子を回してパソコンと反対方向を向いた。その間に、ネルソンは画面のプロパティを呼び出し、壁紙の項目を「指定無し」にして適用させた。ところが、何度やってもその怪しげな幾何学模様の壁紙が出現する。
「くそ、固定化されてる。フォーマットしなきゃダメか!?」
 苛立った口調で言うと、ネルソンはシェリルに言った。
「艦長、これは悪質なウイルスに汚染されてます! フォーマットを掛けないと被害が拡大しますが、良いですね?」
「…! うん、わかった」
 洗脳された「かわいいバージョン」のままシェリルは頷いた。ネルソンはOSの入ったメモリーディスクを取り出し、ドライブにセットして「完全フォーマット後再インストール」を選んだ。
(くそ、模様に見覚えがあるはずだよ。これはあの洗脳リボンの模様じゃないか!)
 ネルソンは唸った。模様だけで洗脳効果があるのかどうかは不明だが、これも同じ犯人が開発したものに違いない。理由はわからないが、犯人は意地でもシェリルをかわいい女の子に仕立てるつもりだ。
「そんな事させるものか…」
 ネルソンは決意を込めて「実行」を押した。彼にとって、シェリルはあくまでも凛として強い女性で無ければならないのだ。
 ところが、実行を押した瞬間、異変が発生した。
「気付かれましたので、自爆コマンドを発動します。このPCは5秒後に物理的に消滅します」
「なんだとぉ!?」
 画面に踊る物騒なメッセージにネルソンは驚愕した。その間に、数字が無情に5から4に変わる。
「くっ…艦長、すいません!」
「え? きゃあっ!!」
 ネルソンはシェリルの身体を抱きしめると、ベッドの陰に一緒に飛び込んだ。自爆コマンドの影響か、室内の電子機器類が不安定になり、不規則にランプが明滅したり、ベッドのリクライニング機能が暴走してマットが波打つ。そして…
「自爆は科学者の浪漫ですよ」
 0カウントが表示され、そんなメッセージが出た直後、シェリルのパソコンはボンと音を立てて爆発した。同時に室内の電子機器が一斉に暴走し、目に見えない電子の嵐が室内を荒れ狂った。そして、その狂騒は一瞬で終わり、室内が静まり返る。
「…痛てて…」
 最初に目を覚ましたのはシェリルの方だった。目を開けてみると、身体の下で自分が目を回していた。ネルソンに抱きしめられてベッドの隙間に押し込められた時に、床で頭を打ったらしい。
「あーあ、ひどいな。副長はこう言うときに詰めが甘い…」
 そこまで言ったところで、シェリルは気が付いた。はて、何故自分がもう一人…と言うか、声がいつもと違う。
「…何いいいぃぃぃぃぃぃっっ!?」
 シェリルが異変の正体に気付いて叫んだ途端、床で延びていた「自分」が目を覚ました。
「う…あ、あれ? 俺がいる…って、何だこの声!?」
「自分」の発した台詞を聞いて、シェリルは尋ねた。
「…副長か? アレックス・ネルソン大尉か?」
「ええ、私はネルソン大尉ですが…って言うかアンタ誰」
 まだ混乱しているらしい「自分」にため息をつき、シェリルはその身体を立たせてやると、「ちょっと話がある」と言って洗面所に引きずっていった。そして、二人で鏡の前に立つ。見た目には、さっきまでのシェリルとネルソンと、何の変わりも無い。
「ネルソン君、右手を上げたまえ」
 シェリルが言うと、鏡の中の「シェリル」がさっと手を上げ、彼女は戸惑ったように言った。
「あれ? 何で艦長が手を上げるんです? 私の手は…」
 そこで、シェリルはポンと自分の身体の肩を叩いた。
「副長、落ち着いて聞け…どうやら、私たちの身体が入れ替わっているらしい」
「はあっ!?」
 大声をあげると、ネルソン(身体はシェリル)は鏡に向かって何度もポーズを変えてみた。そして、艦長の身体が自分の意志で動かせる事に気付くと、いきなり胸を自分で触ってみた。
「はん…あ、ある!」
「何がだあっ!!」
 赤面したシェリル(身体はネルソン)は履いていたスリッパを手に取り、思い切り自分の身体の後頭部にツッコミを入れた。なお、以降シェリルとネルソンの呼び方は、身体ではなく精神の方を主体として記述する。
「はうっ!」
 後頭部を押さえてうずくまるネルソン。シェリルはやってしまってから、しまった、と言う顔になった。
「うわ、自分の身体に手荒な真似を…おーい、大丈夫か? 副長」
「へ、平気です」
 ネルソンは立ち上がった。
「し、しかし、信じられない…何故こんな事に」
 戸惑うネルソンに、シェリルは自室に戻ると、そこの惨状を見やった。
「さっきのウイルスでパソコンと周辺の電子機器が暴走したのが原因かもしれんな…人間の精神活動というのも、つまるところ脳内の電気的活動だ。今ので、電子機器としての我々の脳も暴走したとすれば…」
「まさか、そんなマンガみたいな事が…」
 ネルソンはそう答えたが、シェリルは厳しい表情のままだった。
「マンガみたいか…しかし、私と言う例もある。宇宙に『有り得ない』という事は無い」
 シェリルはそう言いながら、パソコンの筐体を開けた。そして、中を見てため息をついた。
「こりゃダメだな。過電流で回路が全部溶けてる。ウイルスの手がかりはつかめないだろうな」
 焼け焦げて溶け、金属とプラスチックの入り混じったシュールなオブジェと化したそれを元に戻す。
「さて、今後の対策を協議しようか」
 シェリルは見守るネルソンに、肩をすくめて言った。

 シェリルは椅子、ネルソンはベッドに腰掛けて、話が始まった。
「とにかく、何とかして元に戻らなければなりません!」
 ネルソンは力説した。シェリルは「うむ…」と答えるが、何故か反応が鈍い。不審に思ったネルソンは尋ねた。
「艦長、どうしたんです?」
「ん? いや、見慣れた自分の姿も、他人の目で見るとまた違った趣があるな、と思ってね」
 のんきな事を言うシェリルに、ネルソンは真っ赤になって怒った。
「艦長!」
「そう頭に血を上らせるな。私の身体なんだから大事に使ってくれ」
 ネルソンの怒りを軽くいなし、シェリルは言葉を続ける。
「元に戻ると言うのは私も賛成だ。しかし、具体的にはどうする?」
 考えるのに、ネルソンは腕組みをしようとして、胸がつかえるので、顔を赤くしながら諦めた。顎に手を当てて、ひげの無いすべすべした感覚に、また顔を赤くする。
「…何をしてるんだ、お前は」
 シェリルが呆れたように言うのを聞いて、ネルソンは慌ててとっさに思いついた考えを言った。
「やはり、医者に相談すべきかと」
「まぁ、それが常識的ではあるのだろうが…」
 シェリルが口篭もる。
「何か問題でも?」
 ネルソンが聞くと、シェリルは破壊されたパソコンを指差した。
「原因があれだからな。むしろ、技術部にでも頼んで解析してもらうべきかもしれん」
 素人目には跡形も無く壊れているように見えても、プロなら何かを見つけ出すかもしれない。しかし、ネルソンはいまいちそれには賛成できなかった。前回の洗脳リボンといい、今回の壁紙と言い、極めて高度な技術を要する代物だ。その開発に技術部の誰かが関わっていないと言う確証は無い。
 しかし、シェリルに「艦長は洗脳されてました」などとはとても言えないので、技術部を頼るべきではない、と言う自分の判断に、説得力のある説明をするのは難しかった。考えた挙句、ネルソンは別の提案をした。
「保安課に行きませんか? あそこなら、この部屋に侵入したルートを探れるかもしれません。仕掛けた犯人がわかれば、対処も容易でしょう」
「なるほど、それは一理あるな。まずはそこへ行ってみるか」
 シェリルは感心し、ネルソンの新提案を採用した。が、いそいそと出かけようとするネルソンを呼び止める。
「あ、ちょっと待て、副長」
「はい?」
「まず着替えてからにしてくれ。いくら私でもその格好では外に出ない」
 シェリルの言葉にネルソンは赤面した。まだあのひらひらの薄いネグリジェのままだったのだ。ちなみに、シェリルは制服のままなので問題ない。
「わ、わかりました」
 ネルソンは壁に掛けられた制服をハンガーごと手に取り、それからじっと見た。そのまま動かない。
「…どうした?」
 シェリルの声に、ネルソンは油の切れたからくり人形みたいにぎこちなく振り向くと、制服を指差して言った。
「あの、着方が良くわかりません」
 シェリルははぁ、とため息をつくと、ネルソンに歩み寄った。
「スラックスがタイトスカートに変わるくらいだろうが…仕方が無いな。着せてやるからじっとしてろ」
 ちなみに、シェリル自身は初めて女性用制服を着る時にどうだったか、と言うと、ほとんど躊躇いも戸惑いも見せずにあっさりと着てしまった。見ていたライル少佐が
「恥じらいが無いのでつまらん」
 とこぼしたほどである。シェリル的合理主義から言えば、最適の機能を持つ服を着ることは大事なので、特に問題は無かったのだが…
 しかし、ネルソンにそこまでの割り切りは無い。
「ええっ!?」と叫ぶと、後ろに下がってシェリルから逃れる。
「…何故逃げる?」
 いぶかしむシェリルに、ネルソンは手をぶんぶん振って相手を遠ざけようとする。
「だ、大丈夫です! 自分で出来ますから!!」
「今自分でわからない、って言ったばかりだろう」
 そう言うと、シェリルは無情にネルソンのネグリジェを脱がし始めた。
「いやーっ!?」

 そして、十分後…
 シェリルとネルソンは連れ立って通路を歩いていた…が、ネルソンの動きはどこかぎこちない。
「どうした? 調子でも悪いのか?」
「い、いえ…その…スカートってすーすーして心許ないものなんですね…艦長は良く平気ですね」
 シェリルの疑問にネルソンは答えた。
「ん? 慣れると動きやすくて良いものだぞ」
 シェリルはあっさりと言った。
(…大きい…私など及ばぬ器の人だ…)
 ネルソンはその答えに、シェリルに対する底知れぬ畏怖を感じた。
 そんな会話をしているうちに、二人は保安課に着いた。海兵隊とは治安維持問題でよく協力したりするので、保安課の面々は二人とは顔見知りである。
「あ、シェリル少佐にネルソン大尉。どうしました?」
 応対に出た少尉に、シェリルが用件を伝えた。
「わた…いや、艦長の部屋のPCにウイルスが侵入してね。その経路を洗ってもらおうと思ったんだが…ネットワーク系に強い人はいるかな」
「あ、あと、部屋への直接侵入の可能性についても調べてくれ」
 ネルソンが追加の要請をすると、少尉は「しばしお待ちを」と言うと内線電話を取った。
「…もしもし、電脳調査班? シェリル少佐の部屋への不正アクセスの有無について調査を頼みます」
 さらに少尉は受話器を置かずに別の部署へも連絡を入れる。
「もしもし、鑑識班? シェリル少佐の部屋に不法侵入の可能性があります。調査をお願いします」
 それで連絡は終わったらしく、少尉は受話器をフックに戻した。
「では、3時間ほど時間をもらえますか? 結果がわかったら報告を入れます」
「わかった、ありがとう」
 シェリルは礼を言うと、ネルソンを連れて保安課の事務室を出ようとした。その時、ネルソンが慣れないスカートに足を取られて転びそうになった。
「わっ!?」
 その身体を、シェリルががっちりキャッチした。
「大丈夫か?」
「は、はい」
 驚きで赤くなった顔をシェリルに向けてネルソンは答えた。
「気をつけろよ。お前だけの身体じゃないんだからな」
「はい、気をつけます…」
 ネルソンを起こしてやって、シェリルはそう言うと、まだ女性の身体に慣れていないネルソンを気遣って部屋を出て行った。その光景を、保安課のメンバー全員が唖然とした表情で見ていた。そして、二人が見えなくなるや、猛然と話をはじめた。
「お、おい…今の見たか!?」
「見た。夢じゃないよな…あのネルソン大尉がシェリル少佐にあんな口の聞き方を…」
「と言うか、シェリル少佐があんなにしおらしいなんて…」
「もしや、二人はプライベートでは恋人なのか?」
「いや、その前に『お前だけの身体じゃない』って言ってたぞ。それって…」
「ま、まさか…!」
「二人の愛の結晶がっ!?」
 もちろん真相は全く異なる。だが、あれだけの光景で真相を悟れと言っても、それは無理というものだろう…

 保安課の調査待ちの間、二人はシェリルの提案でネルソンの部屋に来ていた。几帳面に見えるネルソンだが、やはり若い独身男性。部屋の中は散らかり放題だった。
「あ…」
 その事をすっかり忘れていて顔を赤くするネルソンに、シェリルが楽しそうな笑顔を見せる。
「いや、意外だな副長。君でも部屋はこんな状態なのか」
「あ、か、片付けます!」
 ネルソンはそう言うと、部屋の掃除を始めた。シェリルの制服を汚さないように、タンスから出してきたエプロンを着けると、ゴミをまとめて袋に放り込み、洗濯物をより分け、散らかったものを元の場所に戻していく。
「ほう…」
 感心したようなシェリルのため息に、ネルソンが振り返った。
「どうしました?」
「いや、自分の身体でも、そうやっていると、まるで別人みたいだなと思ってね。なんと言うか、若奥様という感じだ」
「…な、何を言ってるんですか」
 何故か照れながらも、ネルソンは1時間ほどかけて、ようやく一部屋だけ他人を入れても恥ずかしくない状態にして、シェリルを部屋に迎え入れた。
「み、見苦しいところですけど…」
「うむ」
 お茶を出したところで、ネルソンはシェリルに尋ねた。
「それで艦長、何故私の部屋に?」
 ずず…とお茶をすすっていたシェリルは、カップをテーブルに戻して手を打った。
「おお、忘れるところだった。いや、君のPCを借りてネットに繋ごうと思ってね」
「ネット? 構いませんが…何を?」
 訝るネルソンに、シェリルはPCのスイッチを入れて答えた。
「ほら、TS9ってその手の話が多いだろう? カレーとかDOLLとか。だから、入れ替わり関係の話が無いかと思って、調べてみようと思うんだ」
「あぁ、なるほど」
 ネルソンがポンと手を打つ。その間にシェリルは「精神 入れ替わり」などをキーワードにして検索を始めた。さらに、「人格交換」「精神交換」などでも試してみる。
「うーむ、なんか小説ばかりだな」
 1時間ほど調べて、シェリルは言った。精神が入れ替わり、今の自分たち(主にネルソン)と良く似た戸惑いを感じているキャラクターたちの気持ちが、コミカルに、あるいはシリアスに描かれている。
「うーん、でも精神を入れ替える方法、なんて項目があるな」
「どれです」
 シェリルの言葉に、ネルソンは身を乗り出す。そこにはこう書かれていた。
「入れ替わりたい二人で、出来るだけ長い階段を転げ落ちる。地球の日本と言う国のとある地方都市で試すと、なおGOOD!」
 などと書かれていて、信憑性は果てしなく怪しい。
「……」
「……」
 しばし沈黙した後、シェリルは言った。
「試してみるか?」
「遠慮しておきます」
 ネルソンはきっぱりと答えた。
 なかなか手がかりが見つからないまま、3時間ほど経った時、シェリルのコミュニケーターが着信を伝えた。
「はい、こちらシェ…ネルソン」
『あ、ネルソン大尉ですか? 保安課です。先程の依頼の件ですが』
「ああ、どうだった?」
 シェリルが聞くと、保安課の少尉は残念そうな口調で答えた。
『残念ですが、それらしい痕跡は電子的にも物理的にも発見できませんでした』
「…そうか。ありがとう」
 シェリルは通信を切って、結果をネルソンに伝えた。
「ダメでしたか…」
 がっかりするネルソン。
「仕方が無い。大人しく医務室に行くか」
 シェリルは立ち上がった。すると、ネルソンはPCの電源を落とそうとして、ある記事に気がついた。
「艦長、これ…!」
 その記事を見て、シェリルは顔を綻ばせた。もしこれが本当なら、願っても無い方法だ。そこにはこんな噂が書かれていた。
「TS9特製カレーは60倍を食べると性転換する(実証済み)が、40倍を二人で食べると爆発して入れ替わる」
 普通なら一笑に伏す内容だが、何しろシェリル自身が60倍の効力の生きた証拠だ。40倍の方を疑う理由は何一つとしてない。ただ、「爆発」と言うのが意味不明で不安ではあるが、背に腹はかえられない。
「よし、行くぞ、副長!」
「あ、待ってください! ゴミを捨てますから!!」
 二人は部屋を出て食堂に向かった。その途中でゴミを捨てる。その光景を見ていた職員が、保安課職員のそれに似た唖然とした表情で二人を見送った。
「し、シェリル少佐とネルソン大尉が同じ部屋から…」
「しかも、少佐、ゴミ袋持ってたよな」
「少佐って、大尉の部屋に掃除をしに行ってあげてるのか!?」
「まさか二人がそんな仲なんて!」
「ウゾダドンドコドーン!」
 誤解はさらに拡大していく…

 そんな事とは露知らず、二人は食堂に来ていた。
「おばちゃん、特製カレー40倍、一人前」
 シェリルが頼むと、おばちゃんが「あいよ!」と言う威勢の良い返事と共に、ご飯を皿に盛り始めた。そこで、シェリルは一つ注文した。
「あ、おばちゃん、スプーンを二つ付けてくれないか?」
「ん?」
 おばちゃんは顔をあげると、シェリルの横に立っているネルソンに気がつき、にやりと笑った。
「あいよ。あんたもやるねぇ」
 そう答え、おばちゃんはカレーを盛った皿を差し出した。それを見て、シェリルは首を傾げ、ネルソンは顔を赤らめた。ご飯がハート型に盛ってある。さらに、おまけとして差し出されたヨーグルトラッシーも、大き目のコップに注いで、ストローが二つさしてあった。
「艦長…おばちゃん、絶対誤解してますよ…」
 ネルソンがまだ恥ずかしそうに言うと、シェリルは「何が?」と聞き返した。本気でわかっていないらしい。
「いや、なんでもないです…」
 ネルソンはさすがに「私と艦長が恋人同士だと思われてます」とは言えず、諦めてシェリルの横に座った。
「それでは…行くか」
「はい、艦長」
 ともかく、元に戻る事を賭けて、二人はスプーンを手に取ると、40倍カレーに突き立てた。ハート型のご飯を崩してルーと混ぜ、口に運ぶ。
「…うぐっ!」
 シェリルは唸った。辛い。辛いが、何とか我慢できる。シェリルとの付き合いが長いだけに、ネルソンの身体には思ったよりも辛さに対する耐性があった。
 しかし、標準でも辛いと感じるシェリルの身体を使っているネルソンの方は、そうはいかなかった。
「*▽&◇$%○〜〜!!」
 声にならない叫びと共に、一気にラッシーの半分を飲み干す。目には涙を浮かべ、ひりつく舌を外気に当てて必死に冷ます。
「か、艦長…これは無理です!!」
「気持ちはわかる…が、こらえてくれ。幸い量は半分だ」
 シェリルは沈痛な表情で答えた。元に戻れなければ困るのは、シェリルの方も一緒だ。とりあえずラッシーをさらに追加注文し、必死にカレーに挑む。最初のうちは耐えられたシェリルも、食べ進むうちに痛みしか感じなくなってきた。
 食べる。
 食べる。
 ひたすら食べる。
 拷問にも似た苦行の時間が過ぎ去り、気が付くとカレーはあと一人一口分まで減っていた。これを完食すれば、全ては解決する。
「副長、あと少しだ…って、副長?」
 ネルソンの反応が無いことに不安になったシェリルが見ると、ネルソンの目は瞳孔が開ききり、既に意識はほとんど無い状態だった。
「ふ、副長!? あと少しだ、あと少しなんだぞ!? こんなところで倒れるな!!」
 シェリルが必死に叱咤しても、ネルソンの意識は回復しない。もはや限界を超えているのだ。カレーをすくったスプーンを口元に近づけても、もはやそれが開くことは無い。
「…仕方があるまい」
 シェリルは最後の手段を取る覚悟を決めた。まず、ネルソンのあごを手で持って口を開かせ、そこへカレーを注ぎ込む。そして、自分は水を口に含むと、ネルソンにキスをした…いや、口移しに水を流し込んで、強引にカレーを飲み込ませた。さらに、間髪いれず、残る最後の一口を自分の口に放り込んで、ろくに咀嚼もせず飲み込んだ。
「……」
 一瞬、何も起こらないように見えたが、次の瞬間、シェリルは体内で何かの「力」が急速に膨れ上がるのを感じた。
(こ、これは…!?)
 そして、食堂に激しい爆発音が轟いた。

「…う〜む?」
 ネルソンは身を起こした。カレーを食べている途中から、意識が朦朧としてきて、何をしていたのか良く覚えていない。それを強引に覚醒させたのは、自分を中心にして起きた爆発だった。
「爆発…と言うことは、成功したのか?」
 ネルソンは自分の手を見た。シェリルの白くほっそりした指ではない。見慣れた、自分のごつい手だ。その手で胸を叩く。それも、あの何とも言えない妙なる柔らかさではなく、筋肉の締まった硬い感触だ。
「やった…成功だ! やりましたよ、艦長!!」
 ネルソンは傍らにいるはずのシェリルを探した。その姿はすぐに見つかる。彼女は気を失っているのか、床にほとんど全裸で倒れていた。
…全裸?
「な、何故にっ!?」
 ともかく自分の制服を上に掛けようとして、ネルソンは自分もほとんど裸なのに気が付いた。
「そ、そうか…さっきの爆発で吹き飛んで…仕方が無い、テーブルクロスでも使うか」
 そう言ってテーブルクロスを取ろうと顔を上げたネルソンは、自分たちを取り囲む人の群れに気が付いた。
「…え?」
 硬直するネルソン。どうやら、さっきの爆発を聞きつけて集まってきた野次馬のようだ。その表情に怒りの色が見えるのは、何故だろう?
 そして、その中から見覚えのある面々が出てきた。海兵隊の連中だ。彼らは殺気を充満させた顔でネルソンに近づいてきた。
「副長…あんたって人は…」
「聞きましたよ。艦長に部屋の掃除させたとか」
「あまつさえ、子供まで…!」
「しかもこんなところで襲ってるし!!」
 どういうルートなのか、今日の入れ替わっている最中のシェリルとネルソンの行動は、光の速さで噂になり、TS9中に広まっていたようだった。しかし、尾ひれどころか背びれ腹びれ胸びれまでついたそれらは、ネルソンには何ら身に覚えのない事だった。
「ちょっと待て、誤解だ。話せばわか…」
『問答無用っ!!』
 こうして、第3回ネルソン大尉チンだボディだフックだ大会は華々しく挙行されたのであった…

 そして、数日後…
「最近…みんなが私を見る目が冷たいんです。私は何もしてないのに…」
 暗く沈みこむネルソンを慰めるシェリルの姿があった。
「まぁ、元気を出せ。何か誤解があったんだとしても、いつかは解けるよ」
 そう言ってから、シェリルも首をひねった。
「そう言えば、私もなんか変なことを言われるな。妙に身体を大事にしろとか何とか…確かに最近忙しいけど、そんなに不健康そうに見えるかな…」
 みんなが「母体」を気遣って噂の内容を伝えないばかりに、何が起きているのかさっぱりわからない二人であった。

 ―終―



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