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 2隻の宇宙船が激しい戦闘を展開していた。フェイザー砲や光子魚雷の光条がめまぐるしく飛び交い、シールドに当たって弾け飛ぶ。遠目に見ればまるで花火大会のような美しい光景だが、当事者たちは命がけだ。
 見ると、交戦しているうちの一隻の方が圧倒的に火力が高いらしく、もう一隻に激しい砲火を浴びせ掛けている。外見は商船のようだが、商船がこれほどの重武装を持っていることはありえない。つまり、これは海賊船なのである。それも、辺境宙域にその名を轟かせる最強最悪の宇宙海賊「猫の耳」が保有する戦艦だ。
 しかし、その攻撃を受けている方はよほど防御力が高いのか、光の豪雨のような猛射に悠然と耐えつつ接近していく。攻められているにもかかわらず、余裕すら感じられる動きだ。艦首と舷側には「U.S.Sワールウィンド」の名がステンシルされている。「U.S.S」の文字が示す通り、連合宇宙軍に所属する軍艦だ。
 やがて、両者の距離が近づくにつれ、それまで激しい砲撃をかけていた海賊船が沈黙した。距離が近くなりすぎ、自分も危険になったからである。それを待っていたように、ワールウィンドがトラクター・ビームを発射した。その光が、逃走に移ろうとしていた相手を絡め取り、身動きできなくする。
「総員、対衝撃姿勢。海兵隊員は接舷攻撃用意!」
 ワールウィンド艦橋で、仁王立ちになった艦長が命じた。その数秒後、艦が相手に接触し、激しい衝撃が伝わってくる。しかし、彼は小揺るぎもせず、続けざまに命令を下した。
「アームフック展開! 乗り込み用チューブ打ち込め!!」
 その命令を受け、艦に装備されたカニの爪のようなフックが相手をがっちり捉えた。さらに、海兵隊が相手に乗り込むためのフレキシブル・パイプのようなチューブが発射された。先端がドリルになったそれは、たちまち敵艦の装甲板を貫通し、突撃用の通路を作った。
「海兵隊、接舷攻撃開始!」
 艦長の命令一下、屈強な海兵隊員がパイプを滑り降りるようにして敵艦に乗り込んだ。既に海賊たちも迎撃体制を整えており、激しい銃火が彼らに降り注ぐ。が、海兵隊員はひるんだ様子もなく、手近な遮蔽物を見つけてはその陰に飛び込み、応戦を開始した。フェイザー銃の下に取り付けたグレネードランチャーがポン、と言う炭酸飲料の栓を抜くような音と共に、煙幕弾を敵に撃ち込んだ。
「ぎにゃーっ! 何も見えないにゃーっ!!」
 真っ白な煙が立ち込め、相手が動揺したと見た瞬間、海兵隊員は突撃を開始した。その手には、相手を気絶させる程度のレベルに出力を落としたフェイザー・ブレードが握られており、煙の中で混乱している相手を容赦なく鎮圧していく。
「みゃっ!?」
「ふぎゃっ!?」
 悲鳴が続けざまに上がり、煙幕が薄れたあとには、気絶してぴくぴくと震えている海賊たちの姿があった。彼らは突撃隊に続いてきた別の海兵隊員によって、その場で拘束されていく。
 その間にも先陣を切った突撃隊は前進し、遂に艦橋に到達した。隊長が威嚇射撃を浴びせた上で通告する。
「全員動くな! 我々は連合宇宙軍海兵隊である! おとなしく抵抗をやめ、艦の動力を切れ!!」
 さもなくば射殺する、と言う最後通告の前に、船長らしき年配のキャロラット人が手を上げた。
「わ、わかったにゃ! わかったから撃つのは勘弁してほしいにゃ!!」
 その降伏宣言が海賊船内に伝えられ、散発的に続いていた銃声がやむ。
「こんなシリアスな攻撃なんてありかにゃ…」
 拘束されてうなだれる船長を横目に、隊長は成果に満足して、艦長に報告を入れる。
「艦長、敵の抵抗は終息しました。引き続き、問題の物資の押収に全力を挙げます」
「うむ、よろしく頼む。何しろ、第9方面軍のワイアード司令官直々に回収を命じられた物だからな。よほどの重要物に違いない」
 惑星連合宇宙軍強襲艦、U.S.Sワールウィンド艦長、シェファード・アンドレアス・ターヴィ少佐は重々しく命じた。これから向かう宇宙基地、Trans Space Nineのれも副司令ほどではないが、彼もまた、若くして少佐の地位を手に入れた優秀な軍人である。
「承知しております。お任せください」
 海兵隊長は通信を切ると、ため息をついた。
「やれやれ、うちの艦長も、もう少し柔らかければ付き合いやすいのにな」
 そう言うと、彼は船倉に急いだ。そこは既に彼の部下である海兵隊員たちによって、お祭り騒ぎの場と化していた。
「うおおおお、これがフレイクス少尉とお友達の写真集かっ!」
「こっちはかわねこたんの写真だっ!」
「すげぇ! 俺たちの給料の何か月分だ!?」
「あっ、てめぇ! それは俺様が目をつけていたんだ、寄越せ!!」
 船荷をめぐり、激しい怒号が飛び交い、殴り合いまで起きている。そう、ここにあるのは「猫の耳」の重要な財源である連邦最年少士官、ライカ・フレイクス少尉こと戸増頼香と、彼女の友人たちがかつて「猫の耳」に歓迎されたときの隠し撮り写真であった。既に末端価格は下手な麻薬をはるかに上回り、中毒性も劣らないと言う、売る方も買う方もたまらない逸品である。
「バカモン! 貴様ら何をしておるかっ!!」
 海兵隊長の迫力ある怒声に、大騒ぎをしていた海兵隊員たちがぴたっと止まる。
「俺も混ぜろ」
 そこへ隊長がこう言った途端、大騒ぎが再開される。宇宙中のマニア垂涎の美少女写真をめぐる奪い合いは、果てしなく続いていた。
 しかし、真面目一辺倒のシェファードはそんな事とは露知らず、部下たちの帰りが遅いのを気にしていた。
「何をしてるんだ? あいつらは…」




Trans Space Nine ショートストーリー

60倍カレーの伝説


作:さたびー






 戦闘から27時間後、U.S.Sワールウィンドは目的地であるTS9への入港を果たしていた。同艦がここへ来たのは、現在このTS9の担当宙域で多発している「猫の耳」や、謎の機械・生体ハイブリッド種族、「M・O・E-DOLL」に関連した事件に対処するための軍備増強の一環である。今後、ワールウィンドとシェファード、彼の部下たちはTS9守備艦隊の一部として動くことになるのだ。
「ようやく着いたか。長かったな」
 シェファードは初めて笑みを浮かべた。航海中、彼は決して笑わない。それが指揮官としてあるべき姿だと彼は信じていた。
「私は司令部に着任の挨拶に行って来る。乗員たちにも上陸を許す。あまり羽目を外させるなよ」
 当直を勤める副長に命じ、シェファードはシャトルに乗った。
「TS9の司令官は、確かかわねぎ中佐だったな。切れ者と聞いているが…」
 次第に大きくなってくるTS9の威容を見ながら少佐は呟いた。着任する前、彼は可能な限りTS9に関する情報を集めている。副司令のれも少佐のことは知っていた。士官学校の後輩で、若いが、非常に優秀な人物だ。最年少士官のフレイクス少尉も、記録を読んで只者ではないと判断している。まさか、後ろの船倉に彼女のパンチラ写真が大量に積まれているとは夢にも思わず。
 しかし、気がかりなこともあった。彼がTS9に付いて聞くと、人々は一様に面白そうな、あるいは気の毒そうな視線を彼に向けたものだ。あそこに行くのか、まぁ、がんばれよ、と言う激励の言葉も、何故か生暖かい空気が混じっていたのを覚えている。
(どういうところなのだ? TS9と言うのは…そんなに過酷なところなのか?)
 そう、辺境であり、最前線でもあるTS9は間違いなく過酷な職場であろう。だが、その過酷さは、少佐が思うような種類のものではなかった。

「良く来てくれましたにゃぁ、シェファード少佐」
「は、はぁ…」
 司令部で、シェファードはいきなり戸惑っていた。事前に聞いていたかわねぎ中佐の姿はなく、司令官の席に座っていたのは、見るからに愛らしいキャロラット人の少尉だったからである。
「あの…失礼だが、君は?」
 戸惑いつつもシェファードが聞くと、少女士官は堂に入った仕草で敬礼した。
「TS9司令代理、かわねこ少尉ですにゃ」
 …司令代理? 少尉が?
 有名な話なのだが、萌え方面に疎いシェファードは、かわねこ少尉に関する情報を手に入れる事ができていなかったのである。救いを求めるように、彼はれも副司令を見た。
「事実です」
 れもの言葉に、まだ困惑を隠し切れないながらも、シェファードは頷いた。
「そ、そうですか…申し遅れました。U.S.Sワールウィンド艦長シェファード・アンドレアス・ターヴィ少佐、本日をもってTS9守備艦隊配備となりました。以後、よろしくお願いします」
 相手が少女でも、あくまでも生真面目なシェファードであった。
「着任を歓迎しますにゃ、少佐」
 かわねこが頷く。その後、乗員たちへの居住区の割り当てなどの事務手続きがあり、シェファードはれも副司令と話しながら書類の作成をしていた。
「しかし、驚いたな。司令代理があんな小さな子とは…」
「司令代理はああ見えても非常に優秀ですよ。仕事サボりがちなのが玉に瑕ですけど」
 そう言って、れもが柔らかく微笑む。シェファードは驚いた。士官学校時代、彼女がそんな風に笑うのを見たことがない。
「そ、そうなのか…君が言うなら間違いはないのだろうが」
 心臓の高鳴りを覚え、シェファードはそれを抑えるために書類作成に没頭した。とは言え、やはり軍艦一隻の配備に伴う事務手続きは多く、気が付くと時計の針はお昼を過ぎていた。
「…そう言えば腹が減ったな」
 シェファードが言うと、れもが答えた。
「ここの職員食堂は美味しいですよ。先輩の好きなカレーもあります」
「お、そう言えばここは本場に近いんだったな」
 シェファードは顔をほころばせた。常に冷静沈着を心がける彼の唯一の弱点…それがカレーである。地球生まれのこの料理を食べたシェファードは、一発でこれが病みつきになってしまったのだ。しかし、非加盟国家の料理とあって、惑星連合ではカレーをたくさん食べられるところは意外に少ない。
「そうとわかれば、早速行ってこよう…れも君もどうかね」
「いえ、私はもう少し仕事をしていきますので…」
 れもは答えた。実際仕事もたまっていたが、彼女はこのあと部下のめるてぃと誘い合わせて、食事後にひまわりの種をデザートに一服する、という予定があった。
「そうか。では、俺は行って来るよ」
 シェファードは頷き、司令部を出て行った。
「行ってらっしゃい」
 れもは見送って事務仕事をしていたが、ふとあることに気が付いた。カレー好きの先輩に、注意事項を伝えるのを忘れていたのである。
「…まぁ、大丈夫でしょう。いくら先輩でも、あれを完食できるとは思えませんし、それにあくまでも噂ですし、ね」

 シェファードが職員食堂に付くと、そこには見覚えのある顔が揃っていた。部下の海兵隊員たちである。
「なんだ、お前たちもここに来ていたのか」
「ええ、ここのメシは絶品ッスよ、艦長!」
 そう言う部下の一人はカレーを食べていた。その芳香を嗅ぎ、シェファードは、このカレーは只者ではない、と直感した。
(これは…今までのカレーとは違う!)
 シェファードは急いで列に並んだ。厨房からは各種の美味そうな匂いに混じり、カレーの香りも漂ってくる。
(ふむ、実に素晴らしい…嗅いだことのないスパイスの匂いも混じっている。もしかしたら、本場のものも含まれているのではないか? 早く食べたいぞ…)
 それまでの冷静な表情が一転して、赤く上気した顔で、シェファードはカレーのカウンターに着いた。
「カレー、大盛りで一つ…」
 注文しようとして、シェファードはメニューに載っている注意書きに気付いた。
『辛さが好きに選べます。
 甘口:お子様向けに
 標準:ほんのり辛目のベーシック
 5倍:ちょっと大人味
 10倍:冒険したい貴方に
 ・・・
 ・・・・』
 5倍ごとの刻みで、辛さが変化している。最高の数字にはこう書かれていた。
『60倍:人生が変わるかもしれない究極の激辛』
 シェファードのカレー魂に火が点いた。もともと、彼は激辛好みだったのである。
「…60倍で」
 シェファードは改めて注文を言い直した。その瞬間、食堂に異様なざわめきが満ちた。
(なんだ?)
 辺りから突き刺さる視線に、シェファードが辺りを見回す。すると、一人の宇宙商人らしき男が歩み寄ってきて、彼の肩をぽんと叩いた。
「やめておけ、あんちゃん…若いのに命を粗末にすることぁねぇ」
「なんだって?」
 シェファードが聞き返すと、別の男たちが口々に言った。
「今まで60倍を完食した奴は誰もいない…今までどれだけの勇者が空しく散っていったか…」
「完食した先に見える物が何なのか、誰も知らない。まさに食のスタンレーの魔女とはこの事よ」
 スタンレーの魔女とは、パプア・ニューギニアのオーエンスタンレー山脈に伝わる伝説で、かつて飛行機でここを超えることができずに、多くの冒険飛行家たちが落命したことから生まれた魔物である…閑話休題。
 しかし、そうした忠告も、シェファードの挑戦心を鎮めるにはいたらなかった。
「ならば、なおさら後には退けない。連合軍人は敵に後ろを見せない!」
 彼の決然たる意思表明に、もはや言っても無駄と男たちが離れていく。変わって集まる好奇の視線。そして、運命のカレーが差し出された。
「あいよ、TS9特製カレー60倍、大盛り!」
 それは、一見何の変哲もないカレーだった。ちょっと色が濃いくらいだ。シェファードは「ありがとう」と礼を言い、部下たちが座るテーブルに向かった。その後をぞろぞろと野次馬たちがついてくる。
「だ、大丈夫ですか、艦長?」
「やめるのなら今のうちじゃ…」
 噂を聞いて腰の引けている部下たちに、安心しろ、と言うと、シェファードは最初の一さじを口に運んだ。次の瞬間、シェファードは顔を伏せた。
「…うっ、ううううっっ!?」
 続いて漏れた艦長の苦悶に似たうめき声に部下たちは身を乗り出し、野次馬は一歩引く。
「艦長!」
「吐くんですか!? ナプキン取りますか!?」
 そう呼びかける部下たちに、シェファードは顔をあげると、大声で叫んだ。
「う、う、美味いっ!!」
 お約束の展開に、がたがたがた、と野次馬たちがズッコケた。しかし、そうした周囲の様子にお構いなく、シェファードはカレーを食べ続けている。
(美味い。なんて美味いんだ! まさに究極の美味…!)
 確かに、60倍と言うだけあって、最初は口の中にフェイザーを直撃されたような灼熱した痛みが広がる。しかし、その苦痛を耐えぬいた後には、まるで豊穣な海のような、あるいはどこまでも広がる沃野のような、深みのある味が現れてくる。
 気がつくと、カレーの量は既に半分以下に減っており、シェファードの食べるペースも落ちていない。野次馬の間に、これはイケるのではないか、と言う希望が芽生え始めた。
「おい、このままだとあの兄ちゃん食い切るんじゃないか?」
「信じられんな…しかし、いよいよあの噂の真偽が確かめられるかもしれん…」
 その会話を聞いた海兵隊員たちが、不審そうな表情で尋ねた。
「なぁ、あの60倍カレー、何か曰くでもあるのか?」
 すると、今度は逆に野次馬たちのほうが不審そうになった。
「曰くって…あの兄ちゃん、何も知らないで食ってるのか?」
「ああ、艦長と俺たちはさっきTS9に来たばかりだからな」
 海兵隊員がそう答えると、野次馬はその「曰く」について話し始めた。それを聞き終わると、海兵隊員たちの顔色が一様に変わった。
「ま、まずいぞ! 艦長、止めてください! それを食べきったら…ごふっ!?」
 顔色を青くした隊員がシェファードを止めようとして、同僚からみぞおちに一発喰らい、昏倒させられた。そして、顔色を赤くした隊員と野次馬たちだけがその場に残った。
「あんたら、止めないのか?」
 野次馬に聞かれた隊員は胸を張って答えた。
「そんな面白い話、止めるなんて勿体無い。艦長がそうなるところを俺も見てみたいし」
「…あんた、TS9でも上手くやっていけるよ」
 野次馬がびしっと親指を立てた拳を突き出した。隊員もそれに応え、二人の間に友情が結ばれる。
 そして、カレーはいよいよ残り少なくなっていた。野次馬たちが「あと一杯」のコールをかける中、シェファードは最後の一さじを口に運んだ。ゆっくり咀嚼し、飲み込む。
「ご馳走様…!」
 スプーンを皿においたシェファードがそう言った次の瞬間、大歓声が沸き起こった。この瞬間、食のスタンレーの魔女、美味のバミューダトライアングルとも言われたTS9特製60倍カレーは、遂に征服されたのである。
「どうです、60倍カレー初完食の感想は」
 何時の間にかやってきていた報道班のレポーターがマイクを向けてきた。
「いや、最高だったよ。これほど上手いカレーにはお目にかかったことがないね」
 額や首筋に浮かんだ汗を拭いながらシェファードは応えた。さらに言葉を続ける。
「それにしても、これだけ辛いものを食べると、体が熱くなって…」
 そこまで言ったその瞬間、身体に何か違和感が走った。
「熱くなって…」
 身体は燃えるように熱いのに、ぞくり、という悪寒が走る。同時に頭皮や胸に焼け付くような、引きつるような痛みが走った。
「うっ、うううっ! な、なんだ、これは…!!」
 立ち上がろうとして、それを果たせずシェファードは床に膝を付いた。
「艦長!?」
「始まったのか!?」
 隊員と野次馬たちが、不安半分、期待半分の入り混じった声をあげた。その間に、シェファードの身体を襲った異変はますます酷くなっていた。
「うぐ…身体が…かはぁっ!?」
 苦痛に耐え切れず、シェファードは意識を失い、床に倒れた。野次馬たちが一斉に包囲の輪を詰める。その中心で、シェファードの身体は見る間に変化していった。
「これがカレーの力…!」
「伝説はまことであったか…!」
 感極まったような声が野次馬たちの間から上がる。そこへ、めるてぃを肩に乗せたれも副司令がやってきた。
「皆さん、何を騒いでいるんですか?」
「あっ、これは副司令!」
 さすがに彼女相手には野次馬たちも反応が違う。一斉に姿勢を正して敬礼した。答礼して、れも副司令は野次馬の中に入っていき、そして見た。
 テーブルの上の、空のカレー皿。そして、床に倒れている人物。
「ま、まさか…!?」
 れも副司令の顔色が青くなった。

「…う、こ、ここはどこだ…?」
 シェファードが目を覚ましたのは、白一色の部屋だった。
「気付いたかね」
 女性の声。シェファードがそちらを向くと、連合士官の制服の上に白衣を羽織った女性の姿があった。
「確か…ライル・フォーレスト少佐。TS9のドクターの」
「おや、知っていたかね。私も有名になったものだな」
 ライルは笑った。
「ここに来る前に調べましたので」
 シェファードは答えた。TS9の有名人はだいたい把握している。
(何か、今声が変だったような)
 そう思いつつ、シェファードは上体を起こした。まだ本調子ではないのか、肩が重い。胸に何かぶら下がっているようだ。
「私はどうしたんでしょうかね」
 事態を把握するためにシェファードは聞いた。まだ声が変だ。まるで女性のように高い、澄んだ声になっている。
「食堂で60倍カレーを完食して、直後に昏倒したと聞いている。が、まぁそれは問題ではないな。鏡を見てみたまえ」
「は?」
 ライルの妙な指示を疑問に思いつつ、シェファードはベッドの横に何故か用意してあった姿見を見た。20歳くらいの女性が映っている。
(なかなか美人だな)
 シェファードは思った。自分と同じ、濃い栗色の髪。ただし長さは腰に届くだろう。肌は真っ白く、これは自分のように宇宙線焼けはしていない。胸はかなり大きい。目測でだが、90cm以上はありそうだ。
(しかし…俺はどこだ?)
 そう、姿見には肝心の自分の姿が映っていない。シェファードが首を傾げると、鏡の中の美女も同様に首を傾げた。
「ふむ…」
 顎に手を当てて考える。鏡の中の美女も左右は逆だが同じポーズをとる。
「…」
 腕を組む。手を握ったり閉じたりする。どんな動きをしても、鏡の中の美女は同じポーズをとる。
「…ま、まさか…!?」
「そう、それが今の君の姿だ」
 ライル少佐が沈痛な口調で言った。シェファードはただただ唖然とするばかりだった。

 30分後、茫然自失から立ち直ったシェファードは、れも副司令の訪問を受けていた。
「60倍を完食すると性転換するぅ?」
 そこでれも副司令の語った言葉に、シェファードはあきれ返ったような声を出した。
「そう言う噂だったんです。誰も完食できた者がいないので、あくまでも未確認でしたが」
「本当だったわけか…」
 シェファードはうなった。煽り文句の「人生が変わるかもしれない究極の激辛」は伊達ではなかった。
「すいません。まさか、完食できる人がいるとは思わなかったものですから…」
 れもは噂を伝えなかったことを詫びた。しかし、シェファードは首を横に振った。
「聞いても同じだよ。俺がそんなことを信じるはずがない。結局食べて、同じ結果になったさ」
 気にするには及ばないことをれもに告げて、シェファードは腕を組んだ。すると、その下で豊かな胸が押し潰される感触が伝わってきた。
「む…本物なんだな」
 シェファードは少し顔を赤らめた。すると、そこへ医務室のドアをノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ」
 ライルが返事をすると、どやどやと一団の兵士たちが医務室に入ってきた。海兵隊長を始めとするワールウィンド乗組員の代表だった。
「お前たち、どうしてここに?」
 シェファードが聞くと、海兵隊長が進み出て、花束とフルーツバスケットを手渡してきた。
「見舞いであります!」
「艦長、大変な事になりましたが、どうかお気を落とさずに」
「我々は、どんな姿であっても、艦長に尽くす所存であります!」
 その部下たちの言葉に、シェファードは胸を突かれた。自分で言うのもなんだが、代々軍人の家で、部下には厳格に当たるべし、と教えられてきた彼(女)は、自分は部下にそれ程好かれるような艦長ではない、と思っていたからである。思わず目に熱いものが溢れてきて、シェファードは細くなった指で目じりを拭った。
「ありがとう…」
 そして、見舞いの品を受け取った。
「感謝する」
 それを聞くと、海兵隊長は「では、お大事に。失礼します!」と言い、医務室を去っていった。
「良い部下たちじゃないか」
 ライルの言葉に、シェファードは見舞いの花束を抱きしめ、こくりと頷いた。
 しかし、廊下に出た部下たちの言葉を聞いたら、彼女は前言を撤回したかもしれない。
「見たか!? あの艦長が涙を流してたぞ!?」
「くうう、泣きそうな儚げ美人萌えぇぇ!!」
「あの艦長なら、俺一生ついていくぜ!!」
 男とは、かように己の欲望に忠実なものであった。
 一方、室内ではシェファードがライル少佐に質問していた。
「で、これって元に戻せるんですかね」
「それはわからんな。原因はカレーだろうが…」
 シェファードは頷いた。そして、あることを思いついた。

 一時間後、夕食時。シェファードは再び食堂にいた。見守るのは部下たちだ。
「艦長、止めましょうよ。そんなに上手くいくとは限りませんよ」
「今度は死ぬかもしれませんよ」
 口々に言う部下たちを制し、シェファードは言った。
「心配してくれる気持ちは嬉しいんだが、ここは我を通させてくれ」
 そうしておいて、彼女はカウンターに立ち、「カレー60倍、大盛りで」と頼んだ。
 つまり、もう一度カレーを完食して男に戻ろう、というのがシェファードの作戦…というか思い付きだったのである。
「今日はこれが良く出る日だね」
 と言いながら、食堂のおばちゃんは60倍カレーを作ってくれた。
「俺のほかにも頼んだ人が?」
 シェファードが尋ねると、食堂のおばちゃんは一角を指差した。
「あんたが食べきった後で、ね」
 見ると、そこでは数十人に及ぶ男性職員たちが、スプーンを握り締めて討ち死にしていた。
「…」
 シェファードは額に冷や汗を流しつつ、おばちゃんに礼を言ってテーブルに座った。早速、最初の一口を食べる。
「…?」
 一瞬、シェファードは沈黙し、次の瞬間飛び上がった。
「か、辛い! 辛すぎるぅっ!!」
 顔を真っ赤にして咳き込む彼女に、部下が慌ててヨーグルトラッシーを差し出す。コップ一杯のそれを一気に飲み干したが、舌の上には焼け付くような痛みと熱さが残り、味がしない。
「お、おばちゃん! これ、倍率間違ってないか!?」
 叫ぶシェファードに、おばちゃんは不機嫌そうな顔で応じた。
「失礼な。あたしがレシピを間違うはずがないよ」
 しかし、辛いものは辛い。とても食べられたものではない。それでも勇気を奮ってもう一口食べてみたが、結果は同じだった。
「な、なぜ…」
 涙目でひりひりと痛む唇をふるふると震わせるシェファードに、部下が恐る恐る言った。
「あの、身体が女性化したんで、味覚の感じ方が変わったんじゃないですか?」
「え? まさか…」
 そう答えながらも、シェファードは考えた末、部下にカードを渡した。
「よ、よし…倍率の違うカレーを頼んできてくれ。甘口から55倍まで全部」
「了解しました」
 部下は頷き、程なくして、大量のカレーがテーブルを埋め尽くした。
「よし、まずは…」
 シェファードは55倍カレーを一口食べ、そして火を吐いた。さらに十分後。
「ば、バカな…標準で精一杯だと…?」
 シェファードは真っ青な顔になっていた。実験の結果、彼女が現在食べられる限界の辛さは、標準までと判明した。5倍でも、かなり無理をしてようやく。美味しく食べられるのは甘口だけである。
 なお、部下にも食べさせてみて、おばちゃんが味付けを間違っているのではないことは確認済みだ。
「ど、どうしよう…」
 カレーでは元に戻れないと悟り、床に崩れ落ちるシェファード。その華奢な身体を、海兵隊長が抱きとめた。
「た、隊長…」
 涙を浮かべた目で自分を見上げる美女なシェファードに顔を赤らめつつ、海兵隊長は言った。
「艦長…気を落とさないでください。我々は貴女がどんな姿であっても、ついていきます」
 ここで、「あなた」に当てるべき字が「貴方」ではなく、「貴女」であるのがポイントだ。
「そうですよ。見舞いの時も言ったじゃありませんか! 俺たちの艦長は貴女だけです!!」
「そうだ、そうだ!」
 海兵隊員だけでなく、ワールウィンドの乗組員たちも同じように叫んだ。シェファードは字が違うことに気付かず、感極まって涙を流した。
「ありがとう…俺は良い部下を持った…宇宙一幸せな艦長だ!」
 見物人も思わず涙ぐむ光景だったが、次の瞬間、海兵隊長がその感動を粉微塵に粉砕した。
「さて、元に戻れないとなると、艦長にも新しい名前がいるな」
「え?」
 シェファードが戸惑うより早く、部下たちが頷く。
「そうッスね。『シェファード』なんて名前は可愛くないですし」
「シェファードを崩して『シェフィール』って言うのはどうかな」
「いや、いまいち可愛くないな。『シェリル』って言うのはどうだ?」
「お、それなかなか良いな。俺はシェリルに一票」
「俺も俺も」
「じゃあ、ミドルネームも合わせたほうが良いな」
「うーん、アリシアとかアリスとか?」
「アリシアが良いね」
 この部下たちの会話に唖然としていたシェファードだが、我にかえるや猛然と反論しようとした。
「ちょっと待てお前たち! 俺は元に戻ることをあきらめちゃ…」
 いない、と言おうとした瞬間、一斉に部下のダメ出しが入った。
「艦長! 女の子なんですから、『俺』は禁止です! 『私』って言わないと!!」
「…は?」
 シェファードは思わずあとずさった。おかしい、ちょっと前まで彼らは自分の部下だったはずなのに、なぜ気圧されるのだ?
「あ、い、いやまぁ、TPOによっては私と言わないこともないけど」
「では、今後もそれでお願いします」
「あ、あぁ」
 頷くシェファード。しかし、それにもダメ出しが入る。
「艦長! 女の子なんですから、『あ、あぁ』なんて返事は変です! 『う、うん』って言わないと!!」
「う、うん…って、変なのはお前たちじゃないのかっ!?」
 叫ぶシェファード。しかし、ここでの抵抗は、DOLLに抵抗するよりも無意味で非力だった。そして…

「それは災難だったね」
 翌日、司令部に出頭した彼女を出迎えたのは、かわねこ少尉ではなく、かわねぎ中佐だった。れも副司令がちょっと痛ましそうな目で見てくるのが余計につらい。
「はぁ…その、なんと言いますか…ええ」
 シェファード・アンドレアス改めシェリル・アリシア・ターヴィ少佐は弱々しく頷いた。結局、昨日は暴走した部下に引きずられ、戸籍の変更までされてしまったのである。しかも、手続きは異常なまでに早かった。
 変えられたのは戸籍だけではない。制服も、部下たちがどこからか入手してきた女性用に変わった。下着類もそうだったりする。服装のチェックと着付けの指導は、ライル少佐にしてもらった。
「まぁ、この辺境宙域では、君のような例は珍しくないよ。一刻も早く慣れる事だね」
「…はい」
 そうか、辺境だから仕方ないのか、とシェリル少佐は頷いた。この辺、男の頃はあった押しの強さが少しなくなっているようである。
「しかし、この辺で性別が変わるというと、DOLLに同化されるのが定番だったから、君のように大人の女性なのは珍しいかな」
「そ、そうですか」
 シェリルは汗を拭いた。実測の結果、身長は172cm、スリーサイズは94(E)/58/89というメリハリの利いたスタイルだった。外見年齢は20歳前後。何故かローティーンの少女人口が多いTS9としては、大人の女性に分類されるかもしれない。
 その時、司令席の上に緊急事態を知らせるウィンドウが点滅した。
「こちら司令官。何事だ?」
『先ほどSOSが入電したでちゅ。船名はナゴ、キャロラット船籍の貨物船で、コスプレ衣装一万着を積んでこちらに向かう最中でちゅ。「猫の耳」に襲われているので、早く助けにきてほしい、との事でちゅ』
 オペレーターのプレラット人士官が報告する。
「む、一大事だな…シェリル少佐、救援に向かってくれたまえ」
「はい、了解しました!」
 敬礼を決めると、シェリルは腕に巻いたコミューターの通信機のスイッチを入れた。
「U.S.Sワールウィンド乗員へ、艦長より達する! SOSを発信した民間船舶救援のため、緊急出動する。詳しくはコンピュータより情報を得よ。集合は10分以内、出撃は20分後とする。以上、直ちにかかれ!!」
 男のときと変わらない気合の入った声で命令すると、彼女は司令たちに頭を下げた。
「では、行って参ります」
 そして、身を翻し、手近な転送機に走っていく。
「…大丈夫そうだね」
「はい」
 かわねぎ司令の言葉に、れも副司令は笑顔で答えた。

 17分後、U.S.Sワールウィンドは出撃準備を整え、TS9を背に外宇宙へ向かっていた。既に、危機に陥っている貨物船ナゴに関するデータは全てインプット済みだ。
「外洋に出ると同時に最大戦速と為せ。海兵隊は第一級装備で待機」
 シェリル少佐は艦長席の前に立ち、命令を下していた。腕を組んでいるため、94cmの豊かなバストが強調されているが、軍人としてのスイッチが入った彼女は無頓着なものである。
「外洋に入りました。機関臨界運転。ワープエンジンへの回路接続!」
「航行速度、ワープ8から9へ上昇!!」
 予定よりも早く、ワールウィンドは全速に入った。シェリルは頷くと艦長席に腰掛け、足を組む。ミニスカートでこれをやると、前からはおろしたての純白のショーツが見えてしまうのだが、これまたまったく気にした様子もない。ただ、艦橋の要員たちが調律の取れた楽器のように機能的に動き、何時もより彼らの動きが敏速で正確な事に大いに満足していた。
 そして、乗組員たちもまた、大いに満足しており、その士気は今までになく高いレベルを維持していた。
(おおお、お姉さまな艦長も萌えぇぇぇぇ!!)
(あの無防備さがたまらん…いかん、鼻血が…)
(手柄を立てて、艦長に頭を撫でて誉めてもらうのだ!!)
 まぁ、どういう種類の満足かは敢えて問わないとして…強襲艦U.S.Sワールウィンドと艦長シェリル・アリシア・ターヴィ少佐は、今日も宇宙の平和のため、連合市民の安全のために戦うのだった。

 ―終―


 



あとがき


 こちらではお初にお目にかかります。さたびーと申します。らいかワールドの楽しさに思わず一本書いてしまいました。シェアード設定で話を書くのは初めてなもので、世界観を壊していなければいいのですが(汗)。
 皆さんのお話によると、TS9駐留艦隊の艦長たちは未登場との事なので、そのうちの一人を艦ごと新たに設定してみました。それがシェリルとワールウィンドです。ワールウィンドの外見はスタートレックのディファイアント級を想像していただければだいたい当たりです。
 シェリルは名前から見ても私の一部(特にカレー好き)を投影してはいますが、もっとしっかりした性格の娘です。特に任務中は。ただ、任務を離れたプライベートの時はどういう性格になるのかは、今後変わっていく事でしょう。可愛い娘に育てられたらと思います(鬼)。
 では、また会える機会を願いつつ…



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